第一話  水の街・カルテス

 

まっさらな青空にのんびりと入道雲が浮かぶ。真っ白な入道雲を断ち切るかのように鳥の影が横切っていく。ぴぃぃぃと澄んだ音は、鳥の鳴き声か。はたまた何かの動物の鳴き声か。

その中に徐々に赤が混ざり始める。青の世界がだんだんとその姿を変え、赤く世界を染めていく。真っ白な入道雲も、その影響で少しずつ赤く染まっていく。

 

ただただ広がっている空の世界を上にしながら、秋達は少しペースを速めて乾いた土の道を歩いていた。土の道の両端には細い川が流れている。幅は50センチくらいといったところだろうか。石壁に挟まれたその川は、前から後ろ・・つまり秋達に向かって流れてくる。おそらくカルテスのほうから流れてくるものだろう。というのも、視線の先にはもうすでにカルテスの街が見え始めているからである。街へと入る門までには多少あるものの、川は一直線にカルテスに繋がっている。視点を少し斜め上に向ければ、多くの家の屋根が並んでいる。屋根しか見えていないと言うことは、もう少しだけ登るようだ。

 

気温が少々高めなので、秋は黄緑のジャケットを脱いで、乱暴に腰に巻きつけている。今は白のTシャツ一枚を着て、下はいつもどおりの茶のズボン。後ろには灰色のリュックサックを背負っていた。ラークは・・・特に何も変わらない。しかし暑いのか、温度調節をするために時々舌を出しては立ち止まり、顔をぶるぶると振った。そしてそれを繰り返し、5回になったところで川に首を突っ込んだ。幸せそうに目を細めて、首をぶるぶる振る。そのたびに、水の粒が舞い飛んだ。

 

「もうちょっとだ。何だか・・・綺麗な街みたいだ。」

一歩一歩足を前に、正確に言うと少し上と前に足を踏み出しながら秋は言った。時々、身体を伸ばして自分が歩くであろう先の道を見やる。

「あー・・そうだなぁ。にしても、こうやってちょっとした坂になってるってのは辛いもんだな・・。足に負担がかかる・・・。」

そう言って秋よりも歩幅狭く、そして素早く足を前に出しているのはラーク。

「でも下りるときのほうが負担はかかるんだぞ?」

「そうなのか?」

「ああ、でも下りていくときはスピード上がって早く下りたくなるだろ?それに風をより多く感じて駆け下りれるから、負担が多くかかっているってことに気づきにくい。」

「ほー。」

他愛もない話をしながらゆっくりと登っていく。そして、ゆっくりとカルテスの街が近づき、やがて正面に門が見えた。

 

そして秋達は門の50メートル手前あたりで立ち止まった。そして、一息吸って、思い切り吐き出す。カルテスの街は、今歩いてきた坂よりさらになだらかな丘陵が続いていた。つまり、少し視点を上げれば右に左に街の高さが高くなっているのが分かる。正面、一番高い場所にあるのは・・何の建物だろうか。木造で真ん中からの線対称な木造建築。真ん中の上部には白い時計があり、その上には小さな鐘のようなものが見えた。見る限り、学校らしい。そして、今見ている部分だけでは街の前面すべてを見通すことが出来ない。なぜなら前方は大きな門が始めとなり、街を囲うように外壁が築かれている為である。おそらく秋の身長くらい。丘陵の中に丸いスペースを形作ったその周りには、背の高い樹林が続く。ここに来る前には小さな分かれ道があった。おそらくそちらのほうに行くことで、別の地方に行くことが出来るのだろう。このカルテスの街からは、おそらく先への道へは行けそうにない。引き返して、その道を行くしかないようだ。

門の前には小さな小屋が建ててあった。丸太を組み合わせたその小屋は、門の横、外壁にくっつくように建てられていた。おそらく街に入るための検問所か何かなのだろう。

 

「なになに?『街に御用がおありの方は、このボタンを押してください』ってさ。」

「そっかそっか。とりあえず押さないとな。とうっ!!」

ラークが我先にと飛び上がって押そうとした。しかし、秋が先にボタンに指を添えていた。

りりりりりりりりりりりりりりり

けたたましいベル音が響く。その音にびくっと身体を震わせて、二人は街のほうを見た。どうやらこれが街の警護官を呼ぶ合図らしい。なんとも迷惑な話だ。

「こらっ、秋!!俺に押させてくれても良かったじゃないかっ!!」

「え?押したかったの?」

「なんとなくこういうのって先に押したくなるもんだろ!!それがヒトの一般的な心情ってもんだ!!」

「そう・・か?」

ラークがぷりぷり怒っているので、秋はお詫びとばかりにラークの頭をぐりぐり撫でる。ラークはその気持ちよさに顔を緩ませ、目を細めた。なんとなしに、秋はなおもぐりぐりと撫でる。耳の後ろを撫でる。わしゃわしゃと毛をさらに撫でる。毛を引っ張るように撫でる。さらに撫でる。・・・撫でて撫でて、撫でる。

「いい。もういいって。あー、もういいって、あいたたたた。こらー、引っ張りすぎっ。」

「んー・・・。」

聞こえていない振りでもするように、秋は撫で続ける。実際、聞こえない振りをしている。

「すいません、お待たせいたしました。カルテスの街へようこそ。ここの警護官をしているものです。・・・えっと。旅人さんですよね?・・・ぷっ。」

警護官が来てばたばたと小屋の中を歩き回り、そしてドアが開かれたときには、ラークの毛はぐしゃぐしゃと色々な方向を向いていた。見た瞬間に笑われた。

 

 

「それでは、こちらがこの街の地図となっております。どうぞ。」

名前と滞在日数を尋ねてから、警護官---体格のほっそりとした人間の男――はそう言って紙を一枚、秋に手渡した。

「うわっ!!ちょっ・・やめろって。」

ラークが秋の背中によじ登って、肩越しに覗き込んでくる。秋が一瞬、迷惑そうに眉根を寄せたが、まあ、もう慣れたな・・・と言ってそのまま地図を覗き込んだ。

 

地図には街の概略が描かれている。中心にはアーチが小さく二つ繋がって描かれていて、警護官の話によるとそこは噴水広場、街の中心、憩いの広場になっているという。

そして噴水広場が中心となって道は四方八方に分かれる。縦横、そして右左斜め。今、秋達がいる場所と反対側、そこにはやはり学校があるらしい。

全体の概略図を見れば、噴水を軸として回る水車の歯車のようだ。これは街のデザインを施した建築家の考えで、噴水広場を中心に置くことを前提として考えた“傑作”らしい。分かれた二つの道の間に家は立ち並び、そしてそれは噴水広場から離れるほどに多く立ち並ぶ。中の外壁沿いにはぐるっと回れる道路が存在していて、噴水広場を通らなくても、入り口や学校のほうへ行くことができる。

 

「と、まあ・・この街の大体の位置関係は分かってもらえたでしょうか。ちなみに、街の中で揃えたいもの・・または何か食べたいものがあれば噴水広場にすべて店が集中していますので、そちらでお買い求めください。雑貨関係、肉、野菜、魚、便利グッズ専門店、和・洋・中のそれぞれの店にさらに駄菓子屋、機械部品関係。たいていのものはそこで揃います。あと他に何かあれば、ちょっと見つけるのは大変になりますが、路地へ入っていくと専門店がありますよ。・・・私からはこんなとこです。」

そう一気に喋って、秋達はその親切な対応にお礼を言った。

「それでは、あなた達を中へお通ししますね。」

警護官はまた小屋の中に入って、何か操作をしていた。すると数秒後、カチリという音と共に門がゆっくりと両側に開き始めた。警護官がまた笑顔で現れて、ようこそっ、と歓迎の意を述べる。

「あ、そうだ。」

警護官が門の中へ入っていこうとする秋達を呼び止める。

「宿泊先は、街の南東側。門を入って少し歩いたところになります。もし宿が決まっていないならそちらへどうぞ。」

「はい、最後まで親切にありがとうございます。でも宿は決まってるんです。知り合いのツテで。」

「ラグっていうヤツに会いに行く予定だ。」

そう秋とラークが告げると、警護官は一瞬笑顔を曇らせた。しかし、それもすぐに元に戻る。少し笑顔が引きつって見えた。

「そ・・そうですか。」

「どうしたんです?」

「はは・・いや、何でもないですよ。ラグさんの家は、街の西側の奥になります。入り口からなら、入って左の迂回路を利用してください。入って左に歩き始めて二つ目の大通りを過ぎた後、えっと、これは噴水から西に伸びる道となってます・・・その道を過ぎてすぐの白塗りの家になりますね・・・どうぞ、いってらっしゃい。」

「?」

「行ってくるー、ありがとなー。おっちゃん。」

秋は若干いぶかしんだ顔をしながら、ラークはそんなことを気にもせずノリノリで、門をくぐった。

ぎぎぎぎ、と開いたときと同じように、門はまた重厚な音を立てて閉まっていく。

 

 

 

そして完全に閉められ、警護官は一人残された。これで仕事は終了だ。自分の仕事は、街の警護と旅人の検問と歓迎。それも終わったので、また小屋を通して街の中に戻る予定だ。

 

ただ・・・いつものようにすぐに戻りはしなかった。門の前、小屋の開かれたドアによりかかりながら、ぼーっと門を見つめる。

「私の役目は、旅人を検問し中に入れること。それだけだ。あの二人は・・・」

そうつぶやいた。笑顔は消え、真剣な眼差しを門に向けている。ただ、立ち尽くしている。

注意を施したほうがよかったのか、やはりするべきだったのか。それが小さな後悔として残る。しかし、これから行く場所に余計な不安を持たせたくなかったのもまた一つの理由。街の悪評判に関わることを伝えるのは、旅人の歓迎の任に就いている自分にとってするべきではないことだった。

「そうだ、何も起きなきゃいいんだ。これでよかったんだ。」

ごくりと唾を飲み込み、深く頷く。割り切って考えないことにした。

 

「あのー・・・」

「え、はい!?あ・・・旅人の方ですか?どうも。私がここの警護官です。」

いつものように笑顔を向けた。そこには二人の人間の男が立っていた。少し小汚い服に、これまたパンパンに膨らんだ薄汚れたバックパック。

「中に入れてもらえますか。」

「腹が減ったですー。」

礼儀は正しい。さらに二人とも優しそうな笑顔をこちらに向けている。

「今日は旅人の方が多いですね。こんなのは久しぶりです。」

名前と滞在日数を通常通り聞いて、地図を渡した。

「ご親切にありがとうございました。」

「ありがとですー。」

「いえいえ。」

一人は必ず、『です』を最後につけるのが口癖らしい。まあ、それが検問に関わるわけではないから問題はない。

「ようこそ、カルテスの街へ!!」

 

二人を笑顔で招き入れた。そのときにはもうすでに、先ほどの心配などは吹き飛んでいた。

 

 

 

**

「もういい時間帯だし・・・今日は買い物辞めて、明日行くことにしようか。」

「ああ、そうだな。俺、腹減ったよ〜。」

入り口を入ってもう一度地図を広げた秋はそう言った。こっちだ、と言って左への迂回路を歩き始める。ラークもそれに続いた。

「それにしても何だか妙じゃなかったか?あの警護官の反応。」

「あ?」

ゆっくりとなだらかな坂を登る。急ではないのだが、これが坂である、ということを認識しているため、二人の足取りはゆっくり地面を踏みしめながらの歩行である。

「ラグって名前を出した瞬間、顔変わったし・・・妙に場所を詳しく教えてくれたしな・・。それに、少し焦ってなかったか?」

「ん?そうか?警護官なら街の詳しい場所知っていてもおかしくはないんじゃないのか?それに説明するのに簡単な場所にあるらしいしな。・・・お前の気のせいじゃないか?」

「ん・・・そうかな。心配しすぎるのは悪い癖か。」

「まぁ、とりあえず会ってからさ。それからいいやつか悪いやつか判断すりゃいい。」

「そっか・・・そうだよな。」

 

 

一つ目、二つ目の大き目の路地を通る。その間にも小さな路地はいくつもあって、それがそれぞれの通りに面した家々に繋がっているらしかった。

そして、二つ目の大きな路地を渡った、というか迂回して通った後、秋達はそこに辿り着いた。

外見は警護官の言ったとおり白塗りの家、他の家とは比べ少し大きめの家で、長方形の植木鉢が木製のドアの両側に置いてある。そこには小さくて可愛い黄色と黒で構成された花が咲いていた。名前は、分からない。

そして、木製のドア・・・その前に、一人の影が見えた。むっくりした影は、俺たちを見て取ると、ゆっくりと重い腰をあげて手を振った。夕暮れの中現れたのは、一人の熊獣人。ガトの言っていた通りだった。特徴的なのは青いつなぎと額に当てているゴーグルのようなもの、似ている形と言えば水泳のゴーグルのような。いや、それより少し大きめである。万が一にも水泳用ゴーグルなどではないようだ。落ちないように、耳にバンドを巻きつけてつけていた。身体には茶色の毛に白の毛が少々混ざっている。少し太めの体型は、目の前に屹立すると威圧感を覚えそうだ。

秋達が近くによっていくと、その熊獣人・ラグはにこりと柔らかな笑みを浮かべて声をかけてきた。

(第一印象は・・悪くないな。)

そう思って、まだ半信半疑の体勢で秋はラグを見つめる。

「お待ちしてました。ガトから連絡いただいてます。小向井秋君と・・・ラーク君でしたね。ここに住んでるラグといいます。ようこそ、我が家へ。」

にこやかに応対するその姿は、丁寧な言葉を使うガトのようだ。と言ったら、何だかガトには悪いような気もするが。

「どうも小向井秋です。お世話になります。」

そう礼儀正しく言って、頭を下げる。するとラグもいえいえと頭を下げた。

「ラークっす。こんにちは・・・いや、今晩は、かな。」

ラークも片足をあげてそう挨拶した。その言葉に、

「そうですね、一応・・・今晩は、ですね。もう直に暗くなりますよ。」

そう返して、ラークの手を取って握手を交わす。今回は『お手』には見えていなかった。きちんと握手をしているように見えた。

とてもフレンドリーに迎えてくれたラグは、ささ・・どうぞ、と言って中へ入っていく。

「あ、靴は脱いでくださいね。ラーク君は動物用の足拭きマットを使ってください。」

振り返ってまたにこやかに笑うラグは、そのまま奥へと行ってしまった。中でふんふん♪と上機嫌な鼻歌が聞こえ始める。

「なんだよ、いいヒトじゃんかよ〜?あのヒトのどこを疑うんだよ。俺は大丈夫だと思うぜ。お前が気にしすぎだ。」

足拭きマットでぐりぐりと足をこすり付けながらラークがそう言った。秋も片足ずつ、後ろに持ち上げて靴を脱ぐ。

「そう・・・だな。いいヒト・・だよな。」

「お前、まだ疑ってるだろ?」

「いや、まぁ・・用心に越したことはないかな。」

「しんぱいしょ〜・・。」

秋が考え込んでいるのを、ラークが皮肉った。

 

 

中は木の仄かな匂いの漂う落ち着いたスペースになっていた。入り口脇には外と同じように植木鉢がある。一階部分、つまり秋達がいるところはキッチンも備わったリビングで、二階部分はなく高い天井が広がる。天井の入り口から見て両側には天窓が二つ。真ん中部分にはプロペラがゆっくりと回っていた。さっきの頭のゴーグルと言い、このプロペラと言い、空が好きなのかと思ってしまう。壁には温かみを感じるうっすらと赤みがかったフィルムのかかるライトがあり、それが木の温もりを表しているような気もした。中央には四人かけることが出来るテーブルと椅子のセット。さらに手前にはソファが並ぶ。中央から左に行ったところには木製のドアがあり、そこから別の部屋へ繋がっていることを示していた。キッチンは一番奥にある。そこから楽しそうな鼻歌が聞こえた。ラグがどうやら料理を作っているらしい。

(家庭的なのかな・・・料理作るのが楽しいみたいだ。)

秋がまだ若干疑いながら、それでも不安を薄れさせるような状況に心を落ち着かせ始めていた。

秋とラークが荷物を下ろして手持ち無沙汰にしていると、鼻孔をくすぐるように香ばしい匂いが漂ってきた。パンが焼けるいい匂いだ。

「すいません、秋君、ラーク君。もう少しかかりそうなので、今のうちにお風呂に入ってきてもらえませんか?それまでには準備しておきますので。」

「は・・はい、ありがとうございます。」

「おー、秋、行くぞ〜。」

秋達はラグに風呂の場所とタオルの使用の了解を得て、(というかすべてラグが教えてくれた。了解してくれた。)中央のドアを開けて風呂場へと向かう。

「いってらっしゃ〜い。」

笑顔を向けて、さらに手まで振ってラグが秋達を見送った。

その笑顔が、崩れることはなかった。

 

 

そして・・・風呂場。

「あー、そこそこ・・・。秋、お前・・なかなかうまいじゃないか・・・。」

「そ・・そうか?こんなもんだと・・・思うけどな。」

「すんげぇ気持ちいいよ。」

「ラークが気持ちいいなら・・やりがいがあるよ。」

 

広めのゆったりと出来る洗い場で、秋はラークを洗う。ボディソープがあったため、多めにそれを手にとって、ラークの毛を爪を軽く立てて洗う。ちなみにふざけているわけではなく、自然な会話であったりする。(聞こえない?

 

「それにしても・・・よくやってくれるヒトだな〜、ラグっちゅーヒトは。家庭的っていうか、友好的っていうか・・あんまりいないよな、あんなヒト。」

ラークが石鹸の滑らかさによる気持ちよさに目を細めながら、つぶやいた。

「だなー。何だかそれがかえって優しすぎる・・って感じがするな。」

んー、と言いながら、手を止めずに洗う。

「あー、秋は考えすぎだぜ?あのヒトはあーいうヒトなんだよ。たっぷり甘えさせてもらおうぜ。」

ごしごしごしごし

「実は俺たちの命を狙って機会を狙ってるとか。」

「ないない。」

ごしごしごしごしごしごし

「だったら、あのヒトは実はラグさんではなくて宿のヒトが入れ替わってるとか。」

「宿はどーすんだよ。」

ごしごしごしごしごしごしごしごし

「じゃあ・・・ラグさんはもう殺されてて・・・最後のご奉公とか言って・・・」

「幽霊かよ。」

ごしごしごしごしごしごしごしごしごしごし

「ははは、冗談だよ。あのヒトはいいヒトっぽいさ。ちょっと優しすぎるけどな。」

「まぁな。」

ごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごし

「んー・・・」

「なぁ、秋。」

「んー?」

ごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごし

「早く泡落としてくれよ。」

「んー・・・。」

また気づかない振りをして、手を動かし続けた秋の目の前。

 

・・・狼羊の完成だった。

 

「ちょ・・待った!!目に・・いたっ!!目に入った!!ちくちくっ!!ぎゃー!!早く流せー!!」

 

 

**

 

「いただきます。」「いったらっきまーす、はぐはぐはぐはぐ・・」

「はい、召し上がれ。」

食卓は香ばしい匂いに満ちていた。おいしそうに湯気をあげる料理たちを見て、いつもどおり秋は礼儀正しく、拝むようにしてから、ラークはいただきますの挨拶直後にがつがつと食べ始める。

ちなみに、ラークは一人床に盆が置かれていて、量は秋より少し多いぐらい。メニューはまったく同じもので、ラークのおかず分が取り分けられていた。

洗濯機を使用してもいいということだったので、今はまだ洗濯機が秋の衣服を回している。代わりに渡してもらった白のシャツと黒のハーフパンツは、ちょっと大きかったものの下はしっかりと腰の紐を縛れば何とか穿くことが出来た。

「ちなみにその上下、私のもうちょっと痩せていた時代のでして。いやはや、何ともお恥ずかしい。」

そう言って、顔を赤らめていた。ラグと自分の着ているものを見比べて・・・目を疑う。

(もう・・・“ちょっと”?)

明らかに・・・かけ離れていた。

 

 

テーブルに並べられたのは、中はもちもち、外はかりかり・・・程よく焼けたロールパンにベーコンと卵が挟まれている。そしてサラダ。レタスにきゅうりにトマトに少々のチーズ。絡められたゴマのドレッシングがほどよくマッチしている。メインはスモークサーモン。そしてほくほくのじゃがいもにバターの塊をのせたもの、つまりじゃがバターである。

なんだか、熊に鮭という組み合わせがやはりいいのか?秋は食べている途中に聞いてみたくなったが、妙な偏見を持っているように思われるのも何なので辞めた。

 

「いやぁ、やはり鮭が私の大好物でして。見るだけで心踊るようです。分かりますかね?この胸のトキメキが!!くぅっ〜。」

「は・・はぁ。」

・・・本人から言ってくれました。目がキラキラしてます。

 

 

「このスープ、うまいな。スープなのに冷やっこいなんて。何て言うんだ?・・・これ。」

「あ、それはビシソワ―ズ。じゃがいもとたまねぎのスープなんですよ。といっても、それは市販のものですが。気に入ってくれたなら幸いですよ。」

「確かに、ほんのりとじゃがいもの香りがしますね。まろやかで・・風呂上りだからちょうどいいです。」

「ですね。冷性スープはこういう暑い日によく作ります。身体をひんやりとさせてくれますから。まあ、暑い日に熱いものをって考えもありますけど・・・やっぱり暑い日は冷たいものが一番です。」

「ああ、同感です。」

 

秋達は旅の経験談やしっかりとした自己紹介も兼ねて食事をゆっくりと楽しむ。ラグのほうは、歳は今、三十五歳で、ガトと知り合ったのは五年ほど前。同じようにガトがこの街を訪れたことがあって、そのときに同じ研究者として意見が合ったそうだ。それからはたまにだが連絡も取り合っているらしい。そして、ここで何を研究しているかというとラグの専門分野は医療分野。民間に役立つ薬を研究したり、治療法を探るために文献を漁ったりする。だからガトのようにこもりっきりになるケースもあり、結局こんな体型にまで変化してしまったという。

「でもガトはそんなに太ってないですよ?逆に筋肉質で、それでいて・・あまり運動はしてないとのことでしたけど?」

「そうですか。そこが若干納得できない部分ですが・・・。やはり遺伝的な部分もありえますね。あとは体質とか。あのヒトは前から太らない体質をしてるんですよ。」

「そうなんかぁ・・もぐもぐもぐ。」

ラークのほうを向けば、口周りがスープの色で白く染まっていた。呆れたようにそれを見て、また視線を前に戻す。料理をまた一口運んで、おいしいと素直に感想を述べる。

秋達の方は、今まで行った場所の話をした。特に中心となったのはガトの話で、今では研究を控えて何か本をたくさん読んでいること。ケントやルークを遊びに連れて行ってやったり、街の皆の要望に応えたり、美咲と共に料理をしたりと大忙しのようだ。

「そうですか、ガトが・・・ねぇ。むふふ。」

そうやって含み笑いを浮かべるラグに、秋がどうしました?と尋ねると、

「いえいえ、何でもないですよ。」

と返す。微笑ましい限りだ、とでも思っているのだろうか。口元がにやにやと微笑を崩していなかった。そして和やかで、落ち着いた、それでも盛り上がりのある食事は徐々に終わりへと近づく。

 

「さて、ごちそうさまです。」

「ごちそうさまでした。」「ごっそさん!!」

 

全員で手を合わせて言った。

ラークの口周りを秋がティッシュを借りて拭う。毛の一本一本に通すと、若干乱れはあるものの、白い色は取れた。満足満足、と言って最後にラークは口周りを舌でぐるんと舐め取る。

かたかたと食器を片付ける音が響いて、秋が手伝います、とラークを置いて立ち上がった。

「・・・久しぶりです。」

「え?」

食器に泡を満たし、ぐるぐるとスポンジを回しながら、ラグは言った。

「研究者という職柄・・・一人でいることが多くてですね。こんな風に大勢で、ってのは何か久しぶりです。」

「そう・・ですか。結婚したりってのは・・しないんですか?」

「結婚・・ですか。確かにもうそんな歳ですよね。まぁ、そう思うのも無理はないと思います。」

「じゃあ何で・・・。」

皿をくるくるとゆっくり洗うその横顔には、寂しさが滲んでいた。

「・・・私は臆病な人間でしてね。意思に反して行動が無茶苦茶なものになってしまいます・・・。だからそれが皆にも迷惑をかけるきっかけになってしまいまして・・・。不器用なんです・・私は。」

「・・・・。」

秋はラグが泡で満たした食器を水で流して、さらに布巾で拭いていく。何も言葉をかけることが出来なかった。気持ちは何となく分かるものの、自分はまだ子供で、アドバイスを与えるだけの言葉がすぐに思いつかない。そして、まだ子供の自分が分かった風な口を聞くのも少し躊躇いがあった。秋は黙って作業を続けた。じゃーという水の音と、食器を洗う音だけが響く。

「だから・・・」

「?」

「いつか・・・皆に喜んでもらえるような・・・そんなモノを作り上げるのが、私の夢なんです。」

秋がラグの顔を見ると、ラグはこちらを向いてにこりと微笑んだ。それは自然な笑顔で、秋はそれに魅入っていた。他人によく見られたいと思う気持ち、喜んでもらいたいという気持ち。それがあるというのに、自分が不器用なばかりに思うようにいかない歯痒さ。それが自分は情けない、という感情を生み出す。結果、自分からここぞというときの一歩を踏み出せないようになる。

 

小さな、それでもラグにとって大きな望み。確かな・・・望み。

 

「いい・・・夢ですね。」

「そうですか。・・・そうですよね。」

しみじみとした言葉を交わし、そろそろ食器も残り僅かとなる。三枚、二枚、一枚。皿が電灯の灯りを反射してほんのりと赤く光る。ラグは蛇口を自分の方に動かし、スポンジの泡を落とした。

「ありがとうございます、あとは私がやりますので。今日はもう眠ってください。部屋はドアを抜けて一番右奥です。」

「はい。ありがとうございます。」

先ほどの寂しい笑顔と、他人の為に何かをしたいと言っていた時の笑顔が頭から離れない。

秋は手を拭いて、その場をゆっくりと離れる。

 

「ん、終わったのか・・」

「ああ、もう寝ようか。」

「んー。」

寝ぼけ眼でラークがのっそりと立ち上がる。そして秋が歩き出すと、ゆっくりとその後に付いて歩き出した。ドアを開けるとラークは先にドアを抜けて奥へと歩いていった。秋がドアノブに手をかけてラグを見ると、ラグは一人キッチンで作業をしていた。秋の場所からだと、背中しか見ることは出来ないが、その背中は体格の割に小さく見えた。落ち込んでいるのだろうか。

何か・・・何か言えないのか・・・。そう心の中で言葉を探した。

「あ・・・あのっ!!」

「え?」

秋が声をかけると、ラグがこちらを振り向く。

「ラグさんは・・ラグさん自身が思っているほど、不器用ではないと思います・・・。他の人たちがそう思っていても・・・少なくとも俺たちは・・とってもいいヒトだと思っています。さっき、夢を語っているラグさん・・・ちょっと素敵でした。叶えられると・・・いいですね。」

「・・・・。」

食器を持ったまま秋を見つめるラグの顔は、穏やかだった。何を言っているんだろ、俺・・と言って秋は頭をかいた。

「ありがとうございます。」

そう言って、ラグはにっこりと微笑む。儚い、と思えるその笑顔は見ていて・・・心が和む。すっきりと、心が晴れる。いつの間に、秋も微笑んでいた。

「おやすみなさい。」

「おやすみなさい。・・・いい夢を。」

 

慌てるように秋もドアの向こうへ消えていく。

 

 

キッチンで一人、カタカタと食器を元の場所へ戻していく。

(とってもいいヒトだと思っています・・・か。)

おもしろいヒト達だったな、と心の中で思う。素直に食事を褒めてくれたし、久しぶりに外の世界を色々聞くことが出来た。それに・・・。

(自分の・・・夢。)

気持ちが弾む。顔が自然とほころんでしまう。素直に嬉しいと思う。今までは訪ねてきても親身になって聞いてくれるヒトはほとんどいなかった。それが、中々めずらしいヒトと出会ったものだ。

(あっちは・・・天然・・かな。)

正面きって素敵、なんて言われたら照れる。もっと他の言い方があったんじゃないかとも思う。

かーっと顔が熱くなるのが分かった。気持ちも高揚していた。

しかし、その表情もすぐに曇ってしまう。先ほど秋が出て行ったドアを見つめる。

目を細めて・・つぶやく。

 

「でも私は・・・」

 

夜の帳も下りて、気温はゆっくりと下がっていく。それと共に、部屋の中も涼しくなって・・やがて電気も消えて、誰もいなくなる。ひんやりとした空気が・・・支配する。

 

 

 

 

「私は・・・卑怯なやつなんです。」

 

 

 

 

**

 

部屋に入ったときには、もうすでに布団が二枚敷かれていた。ラークは一枚に転がるように横になった。秋も一枚に腰を落とした。

「やっぱり・・・悪いヒトではないみたい・・・。」

「そうだろそうだろ。」

「夢を語っているときのあの顔は・・・本物だよ。不器用ながらも前を見つめて何かをやり遂げようとする・・・。真っ直ぐな目だよ。」

「誰だって嫌う理由はないと思うがな・・・。性格よし、料理も出来る。あんなヒトが嫌われるなんてありえないと思うけどな。」

「だよな・・・。」

 

 

ラークと少しラグについての話をしてから、ちょっとトイレに行ってくるな、と言って秋が部屋を出て行く。部屋を出て、反対側の奥側。トイレの場所はそこにあると聞いていた。裸足でぺちぺちと廊下を歩きながら、そちらへ向かう。

「ん?」

途中、もう一つドアがあった。おそらくこちらがラグの寝室となる場所。

ドアが開きっぱなし。それでいて電気もついてない。ヒトの気配もない・・・。

(いったいどこに・・・?まだ・・キッチン?)

「おっとと。」

尿意を感じてちょうど反対側の奥の部屋へと急ぐ。そこに駆け込んで、自分のモノを急いで取り出し、用を足す。

(いいヒト・・・か。)

自分自身が言ったことを確かなことだと思う。しかし、まだ警護官のあのときの一瞬の表情が頭の中で引っかかっていた。あのときの引きつったような笑いは・・・何だったのだろう。

 

用を足して戻ってきても、まだドアはさっきのままだった。

(ラグさん・・・食器を片付けたら寝るって・・・言ってたよな。何してるんだろう・・・。)

 

また寝室のほうへ戻ってドアノブに手をかけた、そのときだった。

「!?」

突然、胸に刺すような痛みが走り、その痛みに秋は顔をしかめた。そして身体全体が熱くなる。自分の身体から蒸気が出ているのではないかと思うほどに身体が熱を帯びていた。そして異常な喉の渇き。視界もぼやけてくる。身体が一気にだるくなり、さらに眩暈がする。全身が巨大なものに押しつぶされるように悲鳴をあげた。すべての病気の症状を併せ持つような複雑な痛みに、何も対応手段が見つからない。

「ら・・・ラーク。」

助けを求めるように中へと入る。すると・・

「く・・あぁぁっ!!」

ラークも同じように身体をねじり、身悶えていた。ぎりぎりと歯を鳴らせ、爪を立てて、今にも喉のあたりを掻き毟るようにしながら痛みに耐えている。

「しゅ・・秋・・なんだこれ・・熱い・・・いた・・・い。」

 

(なんだ・・なんだ!?・・いったい!?これは・・・)

 

ラグを呼びに行こうにも身体が思うように動かない。足がふらついて、すぐにでも腰を落としたくなる状態だ。それに・・呼びに行くにしても・・・居場所が分からない。ダメだ、これは・・・この状態は・・。耐え切れずに布団に倒れこんだ。

 

「・・・え・・・ぁ・・・。」

 

そのまま、糸が切れるようにぷつんと思考が停止。

秋とラークは同時に気を失っていた。冷ややかな空気が、ドアの隙間から通る。

舐めるように・・・・熱気を帯びて通り過ぎる。

 

 

 

 

過程・結果・表・裏・真実・嘘・正・誤

 

様々なモノが入り混じる

 

にやりと、どこかで誰かが笑っている

 

ずっと・・・待ち続ける

達成の日を

 

 

空気は・・・重い

 

 

 

第一話  水の街 カルテス    終

 

 

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