「ナッツ・・・」
俺の頭がジン、とした痛みと共に鈍っていく。これは・・・この感覚は・・。
瞼が重りをつけたように閉じようとしている。俺の目の前が、だんだんとその焦点を二重に、三重に写していく。かくん、と頭を落としかけて、かろうじてまた意識が戻る。

 

これは・・・・薬・・・

 

そう感じ取る。ナッツが口移しでやったんだ。

俺を・・・・・眠らせるために。

ナッツが俺を覗き込んでいる。俺が眠そうにしているのを、俺の目の前で悲しみに顔を歪ませながら見つめている。朦朧とする意識の中、俺はナッツの声を聞いた。
「いいよ・・・眠っても・・・。」

眠りを誘うその声。ゆったりとした声が、子守唄のように聞こえる。俺のほうに掛け布団をかけてくれる。この優しさがなんだか、今は嬉しい。このままゆっくりと眠れたら・・・俺はこれほど幸せなことは・・・・ない。そう思ってしまうほど、俺の意識は蕩けてきている。すべてがぐるぐると回転している。意識を保とうと頬をつまむが、意識を集中することが逆に眠りを誘う。


落ちかけている意識の中で、俺は、最後に伝えようとした言葉の後を・・・紡ぐ。

「ナッツ・・・俺も・・・ナッツのことが・・・――――だから・・。」
夢の中で、ナッツが俺を好きでいてくれることが分かったのだ。そこまでしないと気付かなかった自分に無性に腹が立つ。他のやつが気付いていて、俺だけが気付いていなかったのだから尚更だ。

どうだ、これで満足だろう?

そう溶けかけた意識の中、その奥で笑う三人の輩に問いかけた。

 

何だか・・・すっきりする。

俺はその言葉を伝えることが出来た。

そして、俺の意識は溶けていく・・・。

 

 

 

 

**

寝顔を見て、ナッツは小さく笑った。
(この無邪気な顔が、オイラは・・大好きだ・・・。)
そして、ゆっくりと立ち上がる。
いくら、乱暴に起き上がったとしても今は起きることはないだろう。薬の副作用は確認済みだ。

オイラは、兄貴が眠る直前の言葉を思い出す。


「もっと・・・いや、もうちょっと早く・・・・その言葉を聞きたかったな・・・。」

立ち上がって、下に兄貴を見やる。
よく眠ってるな・・・。


こんなにも嬉しいのに、こんなにも愛しいと思うのに。
何故こんなにも寂しくなるんだろう・・・。


オイラは一人、自分の服を着てドアの傍へ。
ゆっくりと振り返って小さく・・・

「ごめん。」

そう呟いた。


冷めた感情に笑みを浮かべる。


すべてを遮るように
ドアが閉まった。


涙が一つ・・・・
流れた。

 

 

第六話 そして少年は砂漠の上に立つ

 

夢。

ウィンの言葉によって、もう三度目となるこの夢が今回で最後だということが分かっている。

それが俺にとってどれだけ重要か、分かりきっていることだった。しかしこれ以上、知ることが怖いとも思っているのだ。見ることですべてが終わってしまいそうな、俺の中でまた大きく壊れてしまいそうな、そんな危惧を感じていた。

俺の中では、謎と噂が積まれた今回の街にはナッツが絡んでいるような気がしていた。いや、気がする・・・だけでは済まないだろう。これはもう確信めいてきている。

今までのいくつもの事柄が、俺に確信を抱かせ始めていた。

 

俺たちの仲間がどうして夢に出てまでナッツの想いを伝えようとしていたのか。

俺が何故、この街で他の住人に埋もれることなく、夢を見ても夢現境にかからないのか。

そしてナッツにとってもそれは何故なのか。

何故、ナッツの過去の話を見ることになったのか。

何故、思い出に出会える街、という妙名がついたのか。

何故、ナッツが俺を眠らせるという行動に出たのか。

 

重なる疑問。それはナッツという存在が中心に動いている。

ナッツは夢を見ていない可能性がある。住人の診療をしている。過去の話。薬。夢。思い出。

 

俺たちがこうして偶然再会したことにももしや意味があるのやもしれない。

そんな風に考えてみる。疑いたくはなかった。しかしこうも偶然が重なりすぎると、逆に恐ろしくなってくるもんだ。

ナッツがこの件にどう関わっているのか、どうして関わっているのか。それは分からない。

その部分が分かっていないからこそ、俺の頭に突っかかっているのだ。そしてそれが分からないからこそ、ナッツを信じたい、ナッツはこの件に実は関係していないのではないか、という一種の希望にもなっている。そう、思い込ませることにした。そうでないと、夢の中の自分を殺してしまってこの夢からすぐにでも抜け出したいとも思ってしまうからだ。

 

(今回の夢の部分を見ておかないと核心にいけないんだろ。)

コクリ、と誰かが頷いた気がした。

 

・・だったら、おとなしく見ているしかないじゃないか。これがナッツを助ける足がかりになるんだったら、俺はもう少し・・・耐えてやるさ・・。

辛い現実か、はたまた俺を酔わせる夢なのか。待つしかないんだろ?

 

 

 

・・・幕が開かれる。

 

 

スクリーンに写ったのは、またもや“見る”形の映像だった。

そこは見覚えのある街の映像だった。確か名前は・・・何だっただろう。

周りにレンガ造りの家々が立ち並び、それを両側に持つ長い道が、街の出口へと真っ直ぐ伸びている。人の影はほとんどない。殺風景なその景色は、決してその街が寂れているわけではないのだ。この映像の時間が、まだ住人達が眠りについている朝方だからなのである。天気はぱっとしない曇り空。朝方だというのに視界は薄暗く、空を見上げれば陽を隠したどんよりとした雲が、ただ流れている。このまま遠くに見える暗い雲が流れてくれば、いつかは雨が降るに違いない。

 

そんな朝方。俺を含めた六人がその場にいた。

俺、ウィン、ライト、ウォート。

向かい合って、ナッツと・・・今は亡き、キーリア先生。

あぁ、これはナッツが俺らと別れた時だ。ナッツが、医者という道を歩み始めた時だ。

 

俺は・・・俺たちは別れ際、今にも泣き出しそうなナッツの顔を見て、笑顔で送り出せるように涙をこらえて向き合っていた。精一杯に湧き上がってくる感情を抑えて、いつかナッツが一人前の医者として活躍できることを願って。俺は口を開いた。

 

「ナッツ、ここでお別れだ。」

「・・・うん。」

「体調、崩すなよ。」

「・・・うん。」

「元気でな・・。」

「・・・うん。」

「それからそれから・・・」

 

俺は何でもいいから声をかけてやりたかった。しかしこういったときに限って俺は大した言葉を紡ぐ事が出来なかった。頭の中では寂しさが渦巻いている。ナッツの生きる道が見つかったのだ。喜んで送り出してやらなきゃいけないのに・・・なのに。

俯き、俺は拳を握り締めていた。耐えろ、耐えるんだと言い聞かせて。

 

ウィンが俺の肩を叩いた。それは無言でも、そろそろ行こうという意味が交じっていた。ウィンの顔は、俺を慰めるような優しさに満ちていた。ライトとウォートも寂しいと感じてはいるだろうが、それを表面に出さないようしっかりと気構えていた。

俺だけだ。最後まで情けなくしがみつこうとしているのは、たまらなく情けない。俺はリーダーとして、そしてナッツの仲間として、しっかりと常に先を見据えていかないといけないというのに。

あぁ、辛い・・。

兄貴としての面目を最後まで保つのは・・とても辛い。

そんな浅はかな矜持に、自分という存在を保ち続けていた。

「今・・・行くよ。」

俺は、声を落としてそう仲間に告げた。

 

「ナッツ、頑張れよ。立派な医者になって、困ってるやつをどんどん助けてやれや。お前の噂が、俺たちに届くのを待ってるぜ。」

 

そう言って、ウィンが一人先立って歩き出す。その背中はいつも見ているウィンからは想像出来ないような物悲しさが語られていた。

 

「達者でな。お前には本当に助けられた。盛上げ役がいなくなるってのも寂しいもんだが、これがお前の道だ。お前の知識を、今度は世界中の人に役立てるんだぞ。」

 

ライトがウィンの後に続く。ライトはこういうところはさっぱりしている。

後ろ向きに、こちらに背を向け手を振った。そしてそのまま歩いていく。

 

「ナッツ。お前といれて本当に楽しかった。まぁ、またからかわれ役が俺一人になっちまうってのはっ。ははは・・。ちーっと痛いとこだが・・・それもまた俺の道よ。元気でな。風邪引くなよ。」

 

ウォートがナッツの頭にぽんと手を置いて、そしてすぐに同じように歩き始める。悲しみを笑いで誤魔化そうとしているのが見え見えである。途中からは置いてかれている分を縮めるために、小走りで仲間の下へと近付く。

 

そして・・三人が残った。俺は息を静かに吸って、吐いた。ナッツは俯いたまま肩を小刻みに震わせている。表情は赤い帽子によって遮られ、見えていなかった。

 

「それでは、キーリア先生。ナッツを・・俺の大事な仲間を・・・よろしくお願いします。」

俺はキーリア先生・・灰色の毛色に白く髭を蓄えた、少し背の曲がった犬獣人だ・・・に深く頭を下げた。

「いいのかい?今日は天気が悪いし、そんなに急ぐこともなかったんじゃないのか?」

降って来る俺たちを心配する穏やかな声。俺は礼をやめて、キーリア先生に顔を向ける。そして、小さく首を横に振った。

「いえ、ここに何日も滞在してはいられません。急ぐわけではありませんが・・・。今日出て行く・・そう決めましたので・・今日、この街を出ます。」

そう俺が否定の言葉を述べると、キーリア先生は一度ナッツの方を向いて、悲しみに顔を歪ませた。そしてすぐに俺のほうへと顔を戻す。

「そうかい。ナッツのことは任せてもらおう。そちらさんも気をつけてな。」

「はい、ありがとうございます。」

俺はもう一度深く礼をする。その間も、ナッツのしゃくりあげるような嗚咽は耳に届いていた。俺の心は、ズキズキと痛んでいる。別れというものはこんなにも辛いことなのか。

それでも俺はナッツから目を逸らすことはしなかった。

「ナッツ・・・。」

「兄貴・・・。」

俺が片膝をつき、そしてナッツの肩に手を置くと、ようやくナッツは顔をあげ、俺に向けてくれた。その表情は悲しみで歪んでいて、目からは大粒の涙が流れていた。

その顔を見て、また胸が痛む。毎日のようにナッツの笑顔を見てきた俺にとって、それは衝撃的で、あまり見たくない顔だった。俺は今度はナッツの頭に手を置き、顔を伏せさせる。ナッツのその表情を見えないように。今見てしまったら、俺まで湧き出す衝動を抑え切れないと感じたからだ。

「ナッツ・・キーリア先生のこと、よく聞くんだぞ。」

コクリと頷く。

「兄貴・・・オイラ、兄貴たちといれて本当に・・・よかった。」

「・・・。」

途切れ途切れにそうナッツの声が紡がれる。

「オイラは別の道を歩んでしまうけど・・・・きっと・・・また会えるよね・・・?」

「・・・ああ、そうだな。きっと・・・また会えるさ。」

自分の中の悲しみを悟られないよう、敢えて出来るだけ明るく振舞ってみせる。しかし精神的には辛い。それでも、俺は耐える。

確証はなかった。しかし、いつかこの世界の中で生きていればどこかで出会えるかもしれない。俺たちは旅人であるし、偶然ひょっこりナッツが現れても俺たちにとっては違和感はないだろう。むしろ喜んでそのまま受け入れてやろう。

「オイラのこと・・・忘れないでください。」

「・・・忘れないさ。ナッツと共に旅をしたこと、大切な時、大切な道。すべてしっかり胸にとどめて置くよ。」

ナッツがさらにコクコク、と二回頷く。

別れは近い。後ろから、仲間が呼ぶ声が聞こえる。俺も、もう自分の感情を長く抑えることに・・耐えられなくなってきている。

「じゃあな・・もう行くよ。元気でな。」

半強制的に最後の挨拶をつぶやいて。最後に一つぽんとナッツの頭を叩く。そしてナッツが顔を上げる前に、俺は背を向け歩き出そうとした。

泣きそうになる顔を、見られたくなかった。歩き出し・・そしてそれでも気になって後ろを半分見やる。

その瞬間、小さな衝撃と共に俺の服の裾を、ナッツが掴んでいた。

ナッツの顔が映っていた。ナッツが俺を見上げて、そして真っ直ぐに見つめているのが分かった。

「最後に・・・一つだけっ・・。」

「・・・何だ?」

ぐっと裾に力が込められている。何か重要なことを言おうとしているのが分かる。

「・・・・・。」

「・・・ナッツ?」

沈黙。街に冷たい風が一吹き。

「・・・ううん、何でもない。・・・いってらっしゃい!!」

笑顔。精一杯の笑顔。涙を浮かべながらも、向ける笑顔はとても綺麗で。思い切り抱きしめてやりたいくらい儚くて。とても・・切ない。

 

俺の裾をすっと手放す。ナッツが急激に離れていく感覚と共に、その笑顔によって悲しみを多少吹き飛ばした。それは俺に旅立ちの踏ん切りをつけさせた。

(やっぱり・・太陽みたいなやつだ、こいつは。)

「それじゃ、行って来ます!!」

俺は・・笑っていた。

 

 

俺は歩き出した。ナッツが後ろで手を振っている。それを振り返り見ずに俺は仲間のもとへ歩き・・そして走る。

すぐに追いつく。仲間たちは皆、俺に優しい笑顔を向けている。俺の今の心境をすべて見透かしたような、そんな顔だ。

嫌なやつらだ・・。そう俺は心に思う。

しばらくして振り返ってみれば、もうナッツの姿は遠く、小さくなっていた。

そしてキーリア先生に促され、建物の中へ。俺は・・遠い目で見送る。

仲間は誰も、何も言わなかった。俺も何も言わなかった。ただただ街の外を目指し、いつもの歩幅に重みを感じながら・・・俺たちは・・・歩く。

 

 

 

街の外。もうすでにナッツの姿はない。もう、見えなかった。

呼んでも届かないような・・そんな・・・距離。

外に出てしばらく誰も何も言わなかった中で、ウィンが俺の肩に手を置く。そしてライトも、ウォートも立ち止まって俺を見つめていた。俺はゆっくりと、歩みを止めた。

「もう、ここだったらいいだろ。」

「あんまり・・無理すんなよ。お前の悪い癖だ。」

「俺たちは、笑ったりしねぇからよ。」

 

俺に向けられた三人の笑顔。俺を気遣ってくれるその優しい笑顔に、そしてその笑顔を見て思い出されるナッツの笑顔に・・・。俺は、もう限界を感じていた。

本当に嫌な奴らだ。俺のことすべてをお見通しで、それでいて、妙に優しくて。

笑ってくれた方がどれだけ楽に進めたんだよ・・。

「何だよ・・お前ら・・ずるいっての・・・俺は・・俺は・・ぅあぁぁぁあぁぁぁああぁぁ!!」

俺は泣いた。ナッツとの日々を思い出し、ナッツの笑顔を思い出し、その声を、行動を。

崩れるようにして、その場に両膝をついて俺は空を見上げる。慟哭。

湧き上がる感情を止められない。もう、止めることが出来ない。

「あぁぁぁあああぁぁあぁぁ!!!」

何故こんな曇った天気であるのに雨が降っていないのだろう。ぱっとしない曇り空。降っていれば涙をすべて流してくれるだろうに。雨音で叫び声を掻き消してくれるだろうに。

・・・すべてを流してくれるだろうに。

 

俺は泣き続けた。寂しさと、悲しさと、愛おしさ。

ナッツの思い出と、仲間の優しさに包まれて。むしろ心地よい感覚を抱きながら。

 

 

ナッツとの別れ。

「・・・・。」

ナッツと別れた街の名前は覚えていない。

俺はスクリーンの前で、呆然と消えた画面を見つめていた。

(俺・・・泣いてばかりだったな。)

過去の出来事に俺はまた目頭が熱くなるのを感じた。俺だけだったのだ・・泣いていたのは。他の仲間と、そしてナッツとの思い出に支えられて、俺は一人思い切り泣くことが出来たのだ。俺は常に皆に支えられていたのだ。それを再認識する。

(だけど・・・)

俺にとっては消すことの出来ない大事な記憶。確かにその記憶は俺にとって重要な話だ。

それは確かにナッツにとっても大事な思い出なのかもしれない。

(今、重要なのは・・・ここじゃあ、ない。)

俺は一度目を閉じて、そして小さく深呼吸をした。暗い中にいるとしても、もう三度目の今では、自分の手足各部の存在をしっかりと感じ取れるようになった。すべての感覚器官を働かせ、弛め、そして強張らせる。

(・・・さあ、覚悟を決めようじゃないか。)

決意を固め、俺は前を見据えた。それに応えるように、スクリーンが再び開かれる。

 

 

 

その映像はナッツのその後の話。

ナッツは俺の言ったとおり、キーリア先生のことをよく聞いて医学を学んでいたようだ。

ナッツの汗水垂らして勉学に精を出す姿は、俺にとって子供を見る親のような気分であり、何だかこそばゆくもあり、誇らしくもある。親馬鹿、とか言われそうだな・・。

 

 

 

**

オイラは、キーリア先生の助手として働くことになった。

毎日のように先生の後に付いていき、そして患者の往診の様子を観察する。師匠の技は、見て盗め・・別に盗むわけじゃないけど、とにかく実践の豊富な人の傍にいるということは、オイラにとって大いに役立った。

ある一つの家にたどり着く。中へ入り、カルテを確認。そして診療。最後には患者さんの笑顔が。そしてオイラに今の診療の患者の話をする。

それが一つの診療の流れだった。それが何十件もある。キーリア先生はこの街すべての患者に対して診療、治療を担当しているらしかった。

そして、一件一件の人に信頼され、常に患者の立場として診療にあたるその献身的な姿は、オイラにとって尊敬の念を抱かせる存在だった。すべての人の身体だけを癒すのではなく、心までも癒してしまう。穏やかな性格がそうさせるのであろう。

(オイラ・・・こんなヒトに・・医者になれたらいいな・・・ぁ・・でも兄貴みたいに強くもなりたいから、戦うお医者さん・・みたいに・・。メスが俺の武器だー、何て・・。)

そこまで考えて、その姿を想像してみる。そこには自分自身が白衣で盗賊相手に向き合っている、という何とも滑稽な姿が。決め台詞は・・手術、完了ってか?

(・・何だ、それ。)

思わず、吹き出して笑ってしまう。キーリア先生に怪訝な顔をされ、オイラは何でもないですよ、と笑って見せた。

(いけない、いけない。でも・・・服装云々がなければ・・・それでもいいかな。)

オイラの理想は、とってもハードルが高い。

 

 

朝から昼にかけて、往診に回る。もちろんその間に訪ねてくる患者の対応も怠らない。

遅めの昼食の後には往診患者の薬の調合。成分表と照らし合わせて全員分の薬を作る。

すべてが終わるのがだいたい21時ごろになる。その後オイラは少しトレーニング。そして月明かりを頼りにノートを広げる。寝る時間は結構少ない。でもオイラはそんなに睡眠を取らなくても大丈夫な体質らしいから、苦にはならなかった。

すべてのヒトを守れるような医者になりたい。使命感、もしくはその望みがオイラを突き動かしていた。ただ毎日を気侭に暮らしていくなんてもったいない。オイラは、閉じ込められていた時間を埋めるように、ただただ必死に勉学に励む。

それでもやはり躓くことがあれば、肩を落とした。満月を見て、兄貴のことを思い出せば涙が零れた。他の兄貴のことを考えて、思い出し、笑った。

 

本からは今まで知らなかった医学知識を。

毎日の往診からは患者との接し方を。

毎日のトレーニングからは基礎体力を。

 

オイラはこれを何日も続けていた。最初は“こんなガキが?”と信用のなかったオイラも、だんだんと受け入れられるようになった。往診の二割程度を任されるようになった。

ただ毎日が苦労しながらも楽しい。患者の心を理解し、そして相談に乗る。

患者の身の内話を聞く。往診をその人固定でずっと行うことは出来ないから、長くはない世間話。そうやってオイラはその街の人々と繋がっていけた。

(少しは・・・キーリア先生に、・・・そして兄貴にも・・近づけているのかな。)

 

それは毎日。毎日続けてこつこつと積み上げていくもの。本だけでは知ることの出来なかった・・それは“経験”。積み上げれば積み上げるほど、根元を太くしていけばするほどそれは頑丈で頑健なものとなっていく。オイラは前よりはずっと大きくなっているはずだ・・・。前に進むことに若干の恐れを抱きながらも・・・そう、感じていた。

 

**

先生の“お前はもう立派な医者になれるだろう”という言葉によって確信に変わった。

その言葉はオイラに自信をつけさせる結果となった。先生に薦められるまま、試験を受け、そして念願の立派な“医者”となることが出来たのだ。

 

オイラの胸、ジャケットの裏側のバッジにヒトを助けていくものとしての証が光る。平和の象徴、白鳩。そのバッジの形・・大きく羽根を広げている姿は、オイラがこれから真っ白な気持ちで飛び立ち始める事が出来ることを意味しているような気がした。喜びに胸が震えた。オイラが寝泊りしている診療所に辿り着くとすぐにキーリア先生に抱きつき、感謝、感謝、感謝の嵐。何度も礼を言って、泣いた。キーリア先生は心から喜んでくれた。その騒ぎを聞いたヒトが、診療所を訪れていた人たちが、その朗報に飛び上がって祝福してくれる。たちまち街全体に広がって、その日、一日中診療所は、街は大騒ぎだった。

唖然としていたんだ。自分の功績を、まるで自分自身のことのように喜んでくれるヒトたちがいることに。オイラなんかの為に喜んでくれるヒトがこんなにもいてくれていたなんて。周りを人だかりに囲まれて、胴上げされる。横では同じように先生が皆に持ち上げられていて、“ちょ・・待ってっ・・あぅっ!!痛いっ・・こらっ・・・やめっ!!!”とか無駄な抵抗のもと、叫んでいる。皆から歓声を受けながら、皆の笑顔を感じながら。

オイラは笑った。妙に・・照れくさかったが・・・これがオイラの目指してきた道の、まだ終わりではないが区切りのついた、一日だった。

 

オイラの心はその先の期待と希望に溢れていたのだ。

 

オイラが“医者になった日”。

その日。

それは今から・・・

 

 

一ヶ月前。

 

 

 

(・・・!?)

何だって・・?

一ヶ月前って・・ナッツがこの街にやってきた日、じゃないのか?

この街にやってきたって言う日、それが何日かもしっかりと俺はナッツに聞いている。

意識して見てみると、スクリーン右下の部分に細々と日時が知らされた。俺はそれを見て、

「・・・。」

血の気が一気に引いていくのを感じた。それはまさに、ナッツに聞いていたその日時と一致していたのだ。ナッツが街の中で皆の歓迎を受けていた日と・・・ナッツがここに来た日・・その奇妙なまでの一致に、俺は警鐘が鳴るのを感じた。

(まさか、医者になったその日に、この街に来た、というのか?)

そう安易な考えを出し、即座に首を横に振って否定する。

(馬鹿か・・・違うだろ。普通ならそんなことしない。それにあの街からこの街までどのくらいあると思っているんだ。いくら馬を飛ばしたからって、一ヶ月はかかる距離だぞ?それが何で・・。)

一瞬で、ここまで移動してきた・・ということになる。この映像の情報が正しくないのか、とも思ったがこれまでの流れから、この映像に嘘偽りはないことは確定済みなのだ。

俺は混乱した頭の中で、考えを巡らす。多くの考えを生み出し、それを否定し、また生み出す・・・。そして俺はそこに・・辿り着いてしまう。

 

(・・・やっぱり、ナッツに・・・関係しているのか?)

ナッツは一ヶ月前にここに来たと言った。そして俺たちが別れた街で、医者になったナッツが歓迎されていたのが一ヶ月前。

一ヶ月もかかるこの土地に・・・どうやってナッツは来たっていうんだ・・?

 

(何だ?一体なんだって言うんだ?俺はナッツを信じるべきなのか?映像を信じるべきなのか?どっちなんだよ?)

 

俺が混乱に頭を抱えていると、突然、光が。スクリーンが轟音と共に突然映像を映し出したのだ。その耳をつんざくような音に俺は全身の毛を震わせ、そして瞬時に耳を塞いだ。

(な・・何だ!?)

 

身体に、映像の光が這うように上ってくる。そのスクリーンから波を、または螺旋を描き、光は俺に流れ込んでくる。それでも、自分に何かされているという不快感は表れない。ただ通り抜けているという感じなのだが、後ろを振り返ればそれはやはり抜けておらず、俺の中に流れ込んでいるようだった。

(これは・・。最後の・・ナッツの記憶の・・断片か・・。)

流れの中にナッツの思いを感じ取る。そこに表れたのは・・・。

 

 

(!!!)

俺は目を疑った。俺の目に映し出されたのは・・。

咆哮、願い、赤、砂、砂漠、滅び。白から赤へ・・黄金へ。

すべてが変わっていく。その五分にも満たない映像の流れだけでも俺はすべてを悟っていた。知りたくなかった・・知らなければどれだけ幸せだったか。

(そうか・・そうなのか。)

 

ナッツ・・・。

 

 

 

 

 

目覚めた。その額には、背中には、気持ち悪いほどに汗がじっとりと滲んでいた。

(何てことだ・・・)

両掌で顔を覆う。胸が張り裂けそうなくらいに鼓動を続けている。呼吸を忘れてしまうぐらいに全身に緊張が走る。そして緊張に強張るはずの全身は、強く・・震えていた。

衝撃的な夢を思い出し・・・震えた。

 

 

一ヶ月間という期間は確かに存在していた。そしてその一ヶ月、ナッツはこの街で診療を続けていたに違いない。それだけは分かる。医者であるということの使命感から、それを続けていたのだ。だがその診療は頼まれたものなどとは違う、別の部分があった。そこが今回の事件の真髄。ナッツという存在が、関わってきた証である。

 

 

「そう言えば・・・」

こんなこと、前にあったような気がする。それは俺にとって衝撃的であって、あまり思い出したくないような事件だった。その光景が、頭に流れてくる。

会話。幼き姿が消えていく瞬間。その異能者の話。

 

そうか・・関係しているのが“あれ”であるとするならば、

 

何度も夢を見ていたこと。街の住人が眠り続けていたこと。ナッツが俺と出会ったこと。

ナッツが夢の影響を受けずにいること。これらすべて・・。

 

(・・・説明が、つく。)

 

多少強引かもしれないが、あの事件すべてがありえないようなことで構成されていたからな・・。今回のことも例外ではないのかもしれない。

 

 

ナッツはその場にいなかった。しかし、この街のどこかにいるはずなのだ。

それを探さなければならない。そしてナッツに確認をしなければならない。

夢、というものが現実に変わる瞬間を、その真実をナッツ自身に問いかけるのだ。

 

俺は汗をそのままにして、立ち上がった。壁に立てかけられた槍を手に持ち、そしてすぐに扉を開けてその場を飛び出していた。

もうすでに周りは夜の深みを現しはじめていた。黄金色の砂が、夜の帳に薄く、青く滲んでいた。空気は冷たく、それが汗ばんだ背中を撫でるように流れ、背筋を震わせた。しかしそんなことを気にしている場合ではなかった。すぐにでも見つけなければいけなかった。

“入り口”はこの街のどこかにある。それだけは分かる。きっと、ナッツはその“入り口”の先にいるはずなのだ。そして、そこではきっと俺を・・待っているはずだ。

 

俺は走る。ナッツという存在を求めて。

 

 

思い当たって、俺は一つの家にたどり着いていた。そこは、俺がナッツと共に診療に回った家。夢を見て涎を垂らしていたあの猫獣人の家だ。何故、多くの家がある中でこの家に直行したのか。それは本当に俺の直感である。

 

ナッツが異常なまでに苦しんでいたのもこの家。最初に俺が住人を発見して見たのもこの家。そしてナッツと共に唯一、見て周ったのもこの家だった。この街に来て、多くの出来事があったこの家に、何かがあるような気がしたのだ。

俺は岩をそのまま穿ち、そして扉をはめ込んだようなその木製の扉のノブに手をかけた。

「・・・開いてる。」

確かに診療に訪れた時には厳重に鍵がかかっていたはずだ。そしてそれはつい数時間前の話だ。それが開いているということは、誰かがここに入ったということを暗に示していた。

俺の直感は――と言うか野生の勘ってやつか?――正しかったようだ。

・・・おそらくナッツはここにいる。

 

そのノブは簡単に俺の手に納まり、そして右回りにゆっくりと回った。

その夜が近付くと共に暗転した家の中に、未だに小さく寝息が聞こえた。そこでは今までと変わりなく、猫獣人が涎を垂らして眠っていた。息遣いはゆったりとしていて、穏やかに繰り返されていた。

「本当によく眠っているんだな・・。」

俺は暗がりの中、ゆっくりとその猫獣人に近付いていった。周りを目を細めて確認しながら一歩ずつ進むと、その足元に何かがコツンとぶつかった。何か、柔らかいものだ。

さらに目を凝らすとそこには・・・

 

(な・・なんだ、これは!?)

さらに目を疑いたくなる。そこにあったのは、俺の今、目の前にあるはずの猫獣人の身体であった。間違いない・・・暗がりではあったものの、その姿はまったく同じものであった。唯一、今ベッドで眠っている猫獣人と違うのは・・

(こいつ・・もうすでに死んでいるぞ・・。)

息が止まっていた。目はしっかりと閉じられ、そして口元から涎が垂れた跡が残っている。

数時間前、俺が本当に寝ているのかどうか、(少し強引な方法で)確かめた、その本人である。

(それじゃあ・・・今眠っているのは・・。)

ベッドの傍によって、その身体に手を触れてみる。俺がその身体に手の先を触れた瞬間。

(!?)

それはざらざらと砂のように崩れ去ったのだ。触れた先、胸の辺りから次々と身体が砂に変わっていった。最後に残されたのは大量の黄金色の砂と、その身体が着ていた服だけだった。

(作り物の身体・・)

もう何が何だか分からない。この作り物の身体は・・何故作られていたのだろうか。

 

 

(――――ために、犠牲が必要だったんだ。)

 

その幼い言葉が思い出される。そこで俺は気付いた。

この今死んでいる猫獣人が犠牲なのだとしたら、それは合点が行く。もしや、他にいる住人っていうのもこのようにすでに死んでいるかもしれない。

それはおそらくカモフラージュとして置いてあるのだろう。俺はナッツと共に、診療に周っている。俺が来たのはここの家だけだが、他の家にどこもヒトがいないとなれば、俺はもっと早くに不審を抱いていただろう。そこでナッツに聞いたとしても、ナッツは応えようとしないだろう。

(・・もしくは・・応えられないのかもしれない。)

あの映像の時のナッツの様子・・。つい数時間前まで、ナッツは気付いてなかったんだ。

だからこそ、俺が来てからずっと自然と過ごしていたのかもしれない。

そして、あのとき気付いてしまった。

・・・それは願いが終わる時が近付いていることを示している。

 

見えてきた。ナッツが考えていることが。

だが・・だとしたら、辛すぎるじゃないか・・。

 

 

 

そして“それ”はすぐに見つかった。

家具がどかされ、そこに一つ、暗がりよりもっと暗い部分を持った空間が存在していたのだ。それは段を持って下へと続いていた。下へと深く続く階段、だ。

(ここが下に通じていたんだ。ナッツがここで苦しみだしたのも、入り口が近くにあったからなのかもしれない。ナッツの感覚がそれを捉えたんだ・・・。)

 

「よし・・。」

俺は意を決してそこに一歩、また一歩踏み出していた。だんだんと外の光を失って、黒が俺の周りをじわじわと侵食してきていた。俺の視界はまた不安定になり、石造りの冷たい壁をその手に感じながらゆっくりと下っていった。

暗く、それは夢の中の光景に似ていた。あの感覚を体験していなければ、俺はこの暗闇の中、自分自身を見失い、発狂していたのかもしれない。今では夢の慣れもあって、自分の手足の感覚も、敏感に周りを感じ取る聴覚も嗅覚もしっかりと働いているのが分かる。

しかし、その中でも手足の感覚しか俺には伝わってこない。音も、臭いも、何もないのだ。

その代わりに、俺には第六感のようなものが働いていた。それが全身の毛をちりちりと刺激している。伝わるのは、恐怖。

全身に警告の装置が働いているようだ。行ってはならない。この選択はきっとお前を不幸にするだろう。・・そんな風に言われている感覚だ。

 

(辞めるものか・・・)

必死に感情を殺して、前へ、下へ進んでいく。

(俺はもう選んでしまったのだから・・)

深く、深く・・・先は長く続いている。

(ナッツに・・・会うんだ・・・・ん?)

暗がりの中に小さな光が見えた。暗闇の中に滲んでいるのは淡い赤い光。

それが這うように俺の足元で波打つ。まるで、足を引かれているようだ。

(・・・・ここか。やはりここに・・ナッツが・・)

だんだんと赤色が増してくる。暗闇をじわじわと埋めるようなその赤は、進むたびに広がっていき・・そしてその終着点には、・・その空間には、全体に赤色の眩しい光が広がっていた。

 

 

「ナッツ・・・ここにいたんだな・・。」

地は上と同じく砂で埋めつくされている。

ドーム上の空間、街の地下とは到底思えないような広い空間に、大きな光の発生源が置かれている。いや、置かれているというのは間違いだ。それはよく見れば、宙に浮いて水平に回転を続けていた。ゆっくりと、ゆっくりと。

それはひし形を立体にしたような水晶。赤い光の発生源はこの水晶だ。どんな力で浮いているのかは分からないが、それは回転を続け、その回転が地面に螺旋状の模様を描いている。そしてその傍には、その赤色に照らされて、一人の少年が立ち尽くしていた。

ナッツはその水晶を見つめていた瞳を、俺のほうへと向けた。

 

「兄貴・・・やっぱり、来てくれた。」

ナッツの声からは、温かい感情を感じ取れなかった。冷たい、それでいて悲しみに染まったその声が、自嘲気味の笑いと共に漏れる。

その顔には、生気が感じられなかった。俺の方へと振り返ると、ナッツの背後を赤色が照らし、光の強さにナッツの表情がはっきりと見えなくなっていた。

「ナッツ・・・お前・・。夢の中の話・・本当なんだな・・。」

ナッツの表情は見えない。しかし、口元が何故か上がっているように見えた。

笑って・・いた。

 

「すべて、見終わったみたいだね・・。オイラの気持ち、オイラのこと・・すべて見てくれたみたいだね。」

「あぁ・・。」

 

時が静かに流れている。光は煩いぐらいにその空間を埋め尽くしているのに、空気は静かだ。それは、これから来るだろう嵐の前兆、とも言うべきなのか。

 

「それで、兄貴はどうするつもりなの?」

「・・・・。」

俺に何が出来るのだろう。もうすでにすべてが“手遅れ”の状態になっているのだ。

その状態の中で俺に出来ること、

(ナッツを助けてやってくれ)

仲間の言葉を信じて、俺がすべきこと。

 

「俺のすべきことは一つだけだ。」

静かにナッツを見据えた。手に持つ槍を、頭上で旋回、そして小脇に抱える。もしものときのために、気を張り詰めさせる。

「お前を、止めることだけだ。」

 

俺が叫ぶと、ナッツは首を傾いだ。そして自嘲気味た笑いに悲しみを浮かべて、涙を一筋流して、呟いた。

 

「止める?」

もうすでにナッツの幼い雰囲気はそこにはない。

ナッツは呟いた。

 

 

「オイラがもう・・・一度、死んでいるっていうのに?」

 

 

 

その真実は・・悲しく、惨い。

 

 

 

 

 

 

 

禁じられた力。

 

強く望んではいけなかったのだ。

しかし、それを望んでしまった。想うが故、生きたいと思うが故。

 

その石が願いに応える。

それは想いが強ければ強いほど、応えてくれる。

 

常人では使えない力を与えられる。

その代わりに、犠牲となるのは・・・

 

多くの命と・・・自分という存在。

 

精神を支配され、そしていつしか自分という存在を壊してしまう。

危険物質。

 

真実というものは・・

 

時に残酷だ。

 

 

第六章 そして少年は砂漠の上に立つ    終

 

 

 

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