第四話 存在・矛盾・元凶
その日は意外にもいい気分で目覚めた。ナッツに謝罪をして、肩の荷が少し下りたからであろうか。なんだか本当に肩も軽くなったような気がして、俺は伸びのついでに肩をぐるぐると回す。欠伸をかみ殺すことなく思い切りする。
結局あの後、俺は夢を見ることなくぐっすりと眠れたらしい。ナッツも泣き疲れた、もしくは笑い疲れたらしく、そのまま倒れるように眠ってしまった。その顔が幸せそうに弛んでいたのは、やはり同じように荷が下りたからなのだろう。俺に対して感じていたわだかまりも、もうすっきりとなくなったに違いない。そうであることを願う。
「おーい・・ナッツ〜。」
まだ完全に眠気が取れていない状態で、間延びした声で俺はそうナッツを呼んだが、返事はなかった。
「ありゃ?」
ナッツはその場にいなかった。身体を起こして―――といっても、もともと壁に寄りかかって寝ていたからただ上半身をちょっと乗り出しただけだが―――ナッツを探した。狭い一室、部屋は分かれていないから見回せばすべてが見える。そのどこかしこにもナッツの姿はなかったのだ。俺がその空間にいるだけで、他には相変わらずの不恰好の窓の光、荷物などしかなかった。
「どこ行ったんだ・・・?」
少し考えて思いつく、ナッツはきっとこの街の住人の診療にでも行っているのだろう。俺は、ナッツが動いて物音を立てたのにも気付かずに眠りこけていたらしい。
これは今まで旅してきた中ではめずらしいことだ。よっぽど疲れていたのか、それとも俺を知っている誰かが一緒にいる、という安心感から警戒心をまったく失くしていたからなのか。
旅人してまだまだだな、俺も。俺は苦笑する。
「それじゃ、探しに行きますかっ!!」
勢いをつけて立ち上がるのに合わせて語尾にも勢いがつく。俺は立ち上がり、もう一度伸びをした後、眠い目をこすりながらも外への短い道を歩いていく。俺が扉の前に立ち、
「あ、鍵とかかけなくていーんかな・・・」
と少し顎をあげて上を見上げた時だった。
「ただいまっ!!」
ごんっ!!
「がはっ!!」
気持ちのいい、本当に爽快な音が鳴った。
「え・・・あ?・・ごん?」
ナッツが思い切りドアを開けて入ってきた。そしてその奇妙な、それでいて爽快な音にもう一度、え?と疑問符を出して、そして足元を見て
「ごん?」
その伸びているものを見て
「ありゃ。」
一つ声を発して、呆然と立ち尽くす。
「ごめん、兄貴・・。」
「ったく、ここに来てから二回目だ。お前にやられたのは・・・。」
一回目はもちろん、ここに着いたばかりの時のあの自由落下直撃事件だ。今思い返してみると、本当にあのときは下が砂でよかったと思う。もしあそこが硬い土だったなら、俺は今頃動いてすらいまい。
俺は仰向けに寝て、鼻の上あたりに冷やしタオルを置いている。ひりひりしている鼻の部分に冷たくなったタオルが心地いい。それでも俺の気分は起きた時から急降下して地面すれすれまで下がっていた。まぁ、最初の基準値がどこだか分かりゃしないんだが。
「だからー、謝ってるじゃないの〜。ね、ごめん。ごめん。」
「こんな歳になって、ドアにぶつかって鼻血出すなんて思いもしなかった・・。」
情けない・・そう言って額に手を当てる。
ナッツは先ほどから仰向けに寝ている俺の傍で、ずっと苦笑いを浮かべながら正座をしている。その座り方は反省の証とも言っているのだろうが、ナッツの後ろでぱたぱたと尻尾が軽く動いているのが感じられると完全には反省していないらしいことが分かった。
「まさかドアの前に立ってるとは思いもしなかったから・・・。あはははは・・。」
そう言って頭を掻いているナッツに、俺はコツンと一発。
「いでっ。」
俺のほうにも非があった。だが、ナッツのへこみっぷりがおもしろく、未だに不機嫌を装った。そっぽを向いて、腕を前で組む。ここまで来てしまったら謝れない、という照れ隠しでもある。
「まぁ、これで許してやる。」
俺がそう言うと、ナッツは表情を輝かせた。よっぽど嬉しいのか、さらに尻尾を高速で動かしている。えへへへっ、と照れ笑いを浮かべた後に・・
「そうだよねぇ。あれの見返りなんて、こんなもんだよねぇ。それにしても兄貴があんなので血を流すとは・・・。凄腕の盗賊、いや、トレジャーハンターの兄貴がねぇ。えへへへへ。」
「・・・・。」
ボカッ!!
「あがっ。」
とりあえずもう一発殴っておいた。いい音がした。
「あー、殴ったー・・・思い切り殴ったーっ。酷いっ。今のは酷いっ!!何さー、本当のこと言ったま・・・」
「もう一発サービスしようか?」
俺の満面な、それでいても後ろに冷ややかさを感じるその笑顔にナッツの顔がひぃっ!!とひきつる。
「イヤ・・遠慮しておきます・・。」
がっくりと肩を落とすナッツの頭に、俺はゆっくりと手をのせ、撫でてやる。うん、やっぱりこいつはおもしろいやつだ。
「え・・あ・・何?」
ナッツは一瞬、また叩かれると思ったのだろうか、身をすくめたが、思ってもいなかった俺の行動にただ怪訝な表情を向けていた。俺に敵意がないのを感じ取るとすぐにそれも笑顔に変わる。
「おはよう、ナッツ。」
「おはよう、兄貴!!」
俺はナッツの頭をポンと軽く叩いて微笑む。返ってきたのは、やはり俺が到底敵わないような、その笑顔。こんなの見たら一発で目が覚めちまう。こんな朝なら何回だって迎えても悪くはない。・・って俺は何を考えているんだ。
しかし、俺の望みは次の一言で崩れ去ることになる。
「実はもうお昼なんだけどね。」
「あ・・?」
崩れ去った。単純な理由で。まあ、昼か朝かってだけのことだが。
「今の時間は十一時半。だからおはよう、でなく“おそよう”ってことで。」
この部屋に時計はない。そして俺もいつも日の傾き具合でだいたいの時間を判断しているものだから、部屋の中ではそれを知る由もなかった。窓から入ってくる光じゃ、いまいち分かりにくいからな。それにもう一つ、分かりにくい状況を作っていたもの。
「もう、昼なのか?それにしては涼しいみたいだが・・。」
確かに今は不快感をおぼえる様な暑さは感じられない。昨日、炎天下の中、砂漠の上に立っていた時は毛を毟りたくなるほど(本当にはしたくないが)暑さを感じていた。あれだけの暑さなら、家の中でさえも、うだるような暑さが感じられないわけはない。
それなのに何故かそれとは真逆に涼しさまでも感じられてしまっている。心地いい、その表現がぴったしだ。それはまだ朝方だからかとも思っていたが・・。
「確かに今日はいつもより涼しいよね。おかしいな、砂漠でこんな気候になるなんて・・。やっぱり・・。」
「やっぱり?」
俺が聞くと、ナッツはううん何でもない、と言って首を振った。何かを思いついたようだが、核心には至らないのだろう。そう、俺は判断した。
「そういや、お前はどこ行ってたんだ?さっきまで出かけていたんだろ?」
「あ!?」
飛び跳ねるように何かに気付いたナッツに俺も心臓が飛び跳ねるぐらいに驚いた。
「な・・・なんだよ?」
「あと患者一人回っていなかったんだ。ここにはなくなった薬を取りに来て・・急いで行って来なくちゃ!!」
そう言って立ち上がったと思うと、素早く自分のバックの傍まで行き、何かゴソゴソとやり始めた。そしてしばらくの間、あー、とか、うー、とかうなり声をあげていたが、それはどうやら見つかったらしい。最後には、
「あった!!」
と大きく、本当に嬉しそうな声で叫んでいた。まるでおもちゃを見つけたときの子供のようだ。そのまだ幼さの残るその言動に、思わず俺は微笑んでしまう。
「兄貴っ。じゃあもうちょっとここで待っててね!!すぐ行ってパパーッとやって、すぐ帰ってくるからっ!!」
パパーッて・・。そんなんでいいのか?俺より患者にしっかりと気を使えよ・・。
「あ、そうだ。ナッツ。」
求めていたものを見つけて、ドアに向かって走り出していたナッツを俺は呼び止めた。ナッツはと言うと、その走り出したモーションのままピタリと止まり、機械のようにぎこちなくこちらに顔を向けた。何だか微妙に怖い。
「何?兄貴?」
「俺も行っていいか?」
そう言って俺はよっ、と足に力を込めて立ち上がった。
「うんっ!!いいよっ!!」
無邪気な笑顔でナッツは答えた。その姿に、まぶしいくらいの顔に、また胸がトク、と打たれた。・・・なんだ、これは。
外に出てみても、まったくと言っていいほど暑さは感じられなかった。このようなことも稀にあるのだろうか。あのうだるような暑さがなくなった分、過ごしやすくはなったと言えるが、“砂漠は毎日のように熱砂に囲まれた所である”そう聞いていた俺にとっては疑問に残る結果となっている。気持ちとしては、複雑だ。
(俺・・・騙されたのか?)
そう心の中でつぶやいて、苦々しく顔を曇らせ、頭を掻く。隣にいたナッツが、どーしたの?と怪訝な顔で覗き込んできたが、何でもないよ、と言って俺は一言だけ返しておいた。
「この街には今は少ないけど、だいたい二十人くらいの患者がいるんだ。そしてその二十人くらい・・の全員が同じ症状にかかってる。オイラが一ヶ月前にここに来た時にはもうすでにその二十人程が確認された。その層は老若男女問わず、だね。でもやっぱり二十代から四十代ぐらいのヒトが多いね。多分、一番忙しい年代だから思うことも多いんじゃないかな。まぁ、やっぱりこれも憶測でしかないけど。」
やはり、その年代くらいが想いが交錯しやすい年代なのだろう。ヒトと出会い、ヒトのために何かをし、ヒトと常に共に生きている。そこには何らかの釣り合いと不釣合いが生じていて、釣り合いのあったものがより多くの時間を共にし、不釣合いのものには敵対心、もしくは不仲が生じる。そのなんとも単純な間柄によってヒトは身体的、精神的な疲れをおぼえる。
そう言ったヒトにとってはこの街は絶好の“逃げ場”なのだろう。特にそのストレスに押しつぶされそうになるほど追い詰められているものにとっては。結局、その行為が自分を追い詰める結果になるとは微塵にも思うまい。誰も長い間眠り続けてしまうなんてことは考えもしまい。
「一ヶ月前、お前が来て・・それ以降はまったくヒトが来てないのか?俺が、久方ぶりの客なのか?」
俺がそう尋ねると、ナッツは一つコクリと頷いた。
「そうだねー。兄貴が一ヶ月前から数えて初めての来訪者になるかな。うん、多分そうだと思うよ。」
あれだけ噂が流れていたのに来たものは誰もいない、か。まあ、確かに思い出に出会える街、っていうヒトにとっちゃうまい話のそれ以外にも、何だかヒトを食う魔物がいるだの、砂に飲み込まれるだの物騒な噂の方も広まっていたからな。それに山を越えた先には平和で、それでいて活気の在る街があるというし・・。どうせならこっちの街よりそっちの街を選ぶ方がいいだろう。誰だって自分の身を危険にさらすような場所にすすんで行くやつはいないだろう。でも皆無というのも、ちょっと妙な感じがする。
多分・・というのが危なっかしいが。
そう考えてみると・・俺は何故こっちの道を選んだのだろう。今思い返してみると、その理由が浮かばない。純粋に自分の根底部分のトレジャーハンターの血が騒いだか、それとも危険と隣りあわせ、というその地帯に魅かれたのか。
どうしてもこっちに来ないといけないような気がしたのだ。
そう・・ただ、なんとなく・・・なのかもしれない。
不確定な要素、曖昧な状況。ここにはそんな螺旋が渦巻いているような、そんな気がしてならない。
(なんだか・・・すっきりしねぇ・・。)
俺はナッツに見えないよう、眉根を寄せた。
俺たちがたどり着いたのは、俺がここに来てすぐに見た、あの猫獣人のいる家だった。俺が寝泊りしていたナッツの家と同様、自然に適応した、岩をそのまま穿ったようなつくり。窓からその中を覗くとやはり穏やかな表情を作って眠る、その姿が俺の目に映った。
本当に昨日とまったく変わっていなかった。幸せそうに眠っているのも同じ。掛け布団が規則的に静かに上下運動をしているのも同じ。涎も・・まだ出ていた。
ナッツから聞いていたもののやはり疑念を持たずにはいられなかった。本当にこんな病気があるのだろうか、こんなことがあっていいものなのか、と。ナッツを疑いたくはないのだが、俺の狭い見識の中では、それをにわかに信じることは出来なかった。彼らは楽しい夢を見ているのだろうか・・。それとも・・。
俺が思考を巡らして、意識をどこへと向けるでもなく立ち尽くしているとナッツがかちゃりと鍵を開ける音が耳に響き、俺を現実へと引き戻した。
「鍵、かけてるのか。」
「・・・?当たり前じゃない。一応ヒトの家だし。」
「そっか・・そうだよな。」
「?」
そりゃあ、ここの管理を任せられているナッツなら持っていてもおかしくはないのだろう。
・・・当たり前、だよな?
ここに来てから奇怪なことばかりに触れているせいで、当たり前なことまでに疑いを持ってしまう。そんな自分に嫌気がさす。
どうぞ、と家の中に招き入れられ(といってもナッツの家ではないのだが)俺は中へと入る。
静寂。
俺たちがいなければ、ここには静かな時が流れるその空間が・・・
「エヘヘヘヘッ」
・・・存在してなかった。その奇妙な笑い方にゾクッと肩を震わす。
彼はどんな夢を見ているのだろう。何に出会い、何を感じているのだろう。俺にはそれを知る由はないが、とりあえず幸せな時が彼の中で流れてるだろう事は分かる。
「本当に・・・眠っているんだろうな。」
「んー、そうだよ?」
ナッツが俺に背を向けて部屋の中にひとつ置いてあったバックの傍で何か準備をし始める。
おそらくは栄養剤とかの投与の準備なのだろう。食事が摂取出来ないのだから、こういう処置を取るしか方法はないのだろうな。
「・・・・・」
ナッツが見ていないのを確認して、俺はその猫獣人の頬を軽く引っ張ってみる。両手でぐいっ、と。
「ヒヘヘヘヘ。」
きちんとした言葉を紡げないその口が、“奇妙な声”を“さらに奇妙な声”に変質させる。
「・・・・」
俺はもう一度ナッツを見やる。うん、気付いていない。集中しているようだ。
「ムフフフフ」
今度は耳をぐいぐい引っ張り、そして中の部分をくすぐってみる。でこぴんで弾いてみる。それでも彼は笑い続けていた。
「・・・・」
気味悪さを感じながらも、未だに好奇心が続いていた。再びナッツを確認する。
パシッ
顔を叩く。軽く。なるだけ大きい音を立てないように。
「・・・・」
確認。パシッ。叩く。確認。パシッ。叩く。確認。確認するのも億劫になってきた。
パシッ。パシッ。パシッ。パシパシパシパシ。
「ムヒヒヒヒ・・」
俺は続ける。これは中々おもしろい・・、と思い始めたとき
「何・・・やってるのさ。」
「ひぃっ!?」
ナッツに突っ込まれる。冷たい視線が俺に向けられていた。
「いや・・・なんとなく・・おもしろくて。ハハハハ・・」
乾いた笑いを見せる俺に、ナッツは変わらぬ視線を、穴が空くのではないかと思うほどに、じっと向けていた。
「スマン。」
その視線に耐え切れなくなって俺は一言そう謝った。
「一応さ。気持ちよく眠っているんだからね。邪魔しちゃ悪いよ。それにもし起きたときに顔が腫れてでもしたら、その人は不審がるでしょ?」
たしなめるように言うナッツに俺はさらに・・
「でも今のところは起きないんだろ?それが分かっているなら少しぐらい・・・」
「ダメ」
「このぐらいなら腫れることなんてないじゃねぇか、だからもうちょい・・」
「ダメ」
「他の方法を試してみるってのは・・」
「却下」
「・・・ハイ。」
俺はしぶしぶと引き下がる。ナッツは俺を呆れたような目で見つめていた。何故かナッツに主導権を握られているような気がするな。ここはおとなしくしているのが・・いいだろう。
「えっと・・。」
ナッツは猫獣人の上にかかっていた掛け布団をはずし、手首のところに人差し指と中指を揃えて当てた。しばらく考えるようにしてからその指を次に首へ。また考えてから、一つ頷いた。
「よしっ。」
そしてまたバックの方へと近寄る。俺が猫獣人の頬をまた叩こうとした時、それはナッツの悪寒を覚えるような直視によって阻まれた。
バックの中から一本の管のようなものが現れる。さっきまで準備していたらしいものが、そこにあった。
「注射、か?」
「うん。」
口から摂取できなければそうするしかないのだろう。ナッツは注射の管の中に入っている液体を少し押し出し、猫獣人の二の腕のところにそれを刺した。
「・・・っ!!」
自分がやられていない、と分かってはいるものの、俺の尾がびくっと反射的に反応する。あの刺さる瞬間が嫌なんだよな・・。ちなみに猫獣人のほうは、と言うと。
「エヘヘヘ・・・。」
奇妙だ。本当に何の夢だよ。
「よしっ」
もう一度頷いて、ナッツは針を引き抜いた。俺のほうも安堵の息を吐き出す。
「だ・・大丈夫なのか?」
「うん、まだこの人は大丈夫みたい。さすがに筋力の衰えまでは止められないんだけどね。」
「まだこの人は・・ってことはやばいやつもいるってことか?」
「そうだねぇ、もともと体力のなさそうな人もいたし。それに、ここに来てだいぶ体力が削られていた、っていう人もいたみたいだからね。・・その人はあと何日持つか・。本当に・・何とかしなくちゃ。」
ナッツのその発言には、強い使命感のようなものを感じた。自分がやらなくちゃいけない。自分がやらないと、命が消えていく。そんなことを胸のうちで強く、ふつふつと感じているのだろう。
「にしても分からねえなぁ。どうしてその・・レム睡眠か・・(途中どちらか忘れるところだった)そのレム睡眠が誘発されるんだ?自然が何か影響を及ぼしている・・ってナッツは言ってたろ?でも、俺にはそう言ったことが自然の現象で起こるようには思えないんだよな・・。なんつーか・・よく分からんけど・・。」
最後の方は自分の言ったことに自信をなくすように言葉をすぼめていく。自分の知らない奇妙な世界は、自分の納得のいくような状態に持ち込もうとする。そうしようとしても俺にとっては理解しがたいもので、その答えはやはり見つからなかった。その感覚が癪に障り、俺の心を、精神を捻じ曲げようとする。
「それじゃ、兄貴はこの症状は誰かが意図的にやっている・・と言いたいの?」
ナッツは若干声を落として、そう答える。自分の考えを否定されている、ということに不満を抱いているようにも思えた。俺には・・そんなつもりはまったくない。
「そうとは言ってねぇよ。たださ、あまりにも奇怪染みているというか・・何だか、呪い?みたいなものを感じてな。そりゃあ、この世界には他の世界からの干渉がたまにあったりするから、そんなことが起こらないとは限らないけどな。あー・・何だか分からないことが多すぎるんだ・・。」
この世界とは別の世界からやってきたやつがそう言ったことを行うことが出来る、という可能性は考えられなくもない。
だが・・その意図が分からない。意味が分からない。人を眠らせることで何が出来るのか。どうしてかかるやつとかからないやつがいるのか、どうして他のやつが噂話に対して臆病になり、ここを訪れないのか。そんなごちゃ混ぜになった疑問が俺の中ではぐるぐると回っている。考えてもそこからまた疑問が生まれ、そしてそれを解決しようとして行き詰る。結局最後はどん詰まりだ。
紛らわせるために、本当はやっぱり自然現象なのか?・・そう自分の中で思ってしまう。だがこれでは答えを見つけるのをやめて逃げているようなものだ。それも答えの一つと見れば、それはそれでいいのかもしれないのだが。
混在するものは・・・一体何か?
また、俺の中で不安が、罪悪感が、その他諸々の負の感情が湧き上がってくる。
何だろう・・・どうしてこんなにも不安を感じるのだろう。
「確かなことは・・これが実際に起こっているっていうこと。それだけは紛れもなく事実だよ。誰が、とか、どうして、とかは後から付いてくるものだ、とオイラは思う。」
「そ・・・そうだが。その“後”ってのはあとどのくらいなんだよ。こうしている間にもここの住人達は少しずつ体力を奪われてるんだろ?」
俺が声高に言及するとナッツはそんな俺を冷静な目で見つめた。冷たく、悲しい目で。
「だったらどうするの?元凶となっているヒトを見つける?それとも自然に、こんなことするなって抗弁する?」
「・・・っ。」
言葉に詰まる、何も出来なくなる。その憤りをぶつけるように、壁に拳をぶち当てた。
すぐに痛みが全身をかけ、その後何かが滲み出していることに気付く。俺の血だ。
「ヒトが何かを求める際には何らかの犠牲が必要なもんなんだよ・・・それは、残酷な話かもしれないけど・・。その後のことを考えると、それしかないんだよ。」
ここで犠牲になるもの、“ヒト”と“時”。それが何なのかが解明されるには犠牲がやはり付き物なのだ。
「何も・・何も出来ないのか・・。俺には、俺には結局・・。」
(あの時も・・。)
俺は・・無力なんだ。
また頭の中で何かが壊れていくような感覚をおぼえる。じわじわと侵食し、俺の精神を壊すもの。その手、その影。
「大丈夫だよ。」
「・・・!!」
ナッツの穏やかな声。安らぐような声。俺を癒す声。
「だからこそ、オイラがここにいるんだよ。少しでも、オイラは早くこの状況を変えられるように頑張るよ。今まで以上に頑張るから。だから・・・・そんな悲しい顔しないで、兄貴・・。」
それはナッツ自身に言い聞かせているようにも思えた。
「分かってる・・分かってるよ。ナッツ・・。」
俺には何も出来ない。何も助けられない。何の為に俺は生きてるんだ。
ここに来てから自分の情けなさが身に染みすぎている。それがたまらなく腹立たしい。
「兄貴・・オイラもうちょっとここにいるから、先に帰っていてくれる?オイラも・・すぐに帰るから。」
「・・・あぁ。分かった。」
俺はそう一言だけ言って外へ出た。胸が苦しい。ズキズキと痛む。そこら中が鎖でギリギリと締め付けられている。苦しい・・。
休もう、きっと疲れているだけだ。そうだ、休めばきっと。
思考をまともに巡らすことが出来ない。何かが壊れ始めていた。
何かが・・始まろうとしていた。
俺は・・・その場に立ち尽くす。
オイラは一人、部屋に残された。さっきまでの喧騒が嘘だったかのように、すぐに眠っている猫獣人の静かな寝息だけが存在している、静かな空間が生み出される。
「ふぅっ・・。」
小さく、それでも深い息を吐き出す。それと共に疲れが思い出されたように襲い掛かってくる。オイラはその小さな空間で、立ち尽くしていた。
「何も・・・出来ないのか。オイラは・・・この人達にも・・兄貴にも。」
大丈夫、と宣言したものの、まったくの解明の目途が立っていなかった。自分の無知と無力さを思い知らされた。兄貴の前では笑っていよう、常にそう思っていたからこそ、強がって笑った。兄貴は少しでもその笑顔を信じてくれただろうか。それだけが、不安だった。
ここに兄貴が来てからというもの、常に兄貴の中に身体的、精神的な疲労が見えていた。兄貴はオイラが気付いてないとでも思っているだろうか。しかし、オイラにはどうしてもここに来てすぐに見せた“あの”顔が・・・あの笑っていてもどこかぎこちないその顔が何かを隠しているように思えてならなかった。
オイラがある質問をしたときのあの表情。恐らくはその質問自体がその原因と思っていても間違いはないだろう。
「オイラには何も話してくれない・・・ずるいよ、兄貴。」
そうオイラは独りごちた。先ほどまで兄貴がいた場所に告げるように。
オイラには何が出来るのだろう・・。この街に、兄貴に・・大切なヒトに。
その答えはやはり、ここの問題を解決する他はなかった。オイラがこれを解決すれば、皆が救われる・・・そして、兄貴も・・。
早く・・・早くしなきゃ。
オイラの中で焦りが生まれ始めていた。ちっ、と舌打ちをする。
兄貴には見せたくない醜態だった。こんな後ろ向きな自分は出来るだけ見せたくない。
オイラはこの一ヶ月、何をしていたんだろう。
ここへ来て・・・状況を知って・・・兄貴が来て・・。
「・・・?」
兄貴が来てからの印象が強いのか、それ以前のことがよく思い出せない。兄貴が来る前、オイラがここに辿り着く少し前。空白の・・・その時。その異質さにオイラは顎に手を当て、首を傾げる。
「オイラは・・・一ヶ月前に、ここに来た。」
確認するようにつぶやく。
それからここで眠っているヒトがすでにいたことに気付く。こういう病状が出てるから、と言われて調査に来たものの、実際に調査の実地に着くまで、その話は半信半疑だった。オイラにとってもそれは、常識からはずれたような話だったからだ。そう考えると、おいらも最初の考えは兄貴と同じだったわけだ。
それから・・調査を続けて、その人が一日中眠り続けてるってことを認識した。そして、その病気にかかるヒトは常にレム睡眠という状態に陥っているということにも気付いた。
あとは・・・どうだったっけかな。
「・・・えっと。」
オイラは何をしていた?指折り数えてやってきた項目を挙げていく。それは何回やっても途中で曖昧に終わる。その後は・・?次は?
調査。健康管理。それは毎日のようにやってきたはずだけど・・。
曖昧になっているみたいだ。こんな歳でつい何日か前のことを忘れてしまうなんて・・オイラも別のことで重症みたいだ。疲れているのだろうか。
きっとそれだけ“最初の自分の仕事”ということに昂揚していたのだろう。何となくおかしいとは感じるけど、オイラは集中しすぎると時間を忘れたりしてたこともあった。それを考えればたいしたことじゃない。それに自宅(オイラが借りてる家)に戻れば、今までの報告書のもととなる文書も、書き始めているメモ書きも見つかるはずだ。
最終確認をしようと、兄貴の来た後も含めて整理してみる。兄貴からもらった情報も含めて。頭の中で一つずつ。頭でしっかりと整理すれば・・きっと・・。
「ちょっと、待てよ・・?」
オイラはここに調査をしに来た。それは一ヶ月前くらいだ。その依頼を出したのは確か、(おぼろげだが)恰幅のいい、茶の毛の混じった白熊の初老の男性だった。
そしてここに来る。このあたりが少し曖昧。
住人はオイラが着いたとき、すでに夢現境にかかっていた。
彼らの心拍数や呼吸などから、オイラは彼らが夢を見続けている、ということを知った。
彼らの体調管理と、ここの調査を続けてきた。
兄貴が来た。
嬉しかった。ずっと会いたいと思っていたから嬉しかった。
兄貴の様子が前と違って見えた。おそらく・・他の兄貴関係。
兄貴の情報。
兄貴以外には一ヶ月間、誰も訪問がなかったということに気付かされる。
兄貴が噂話を持ってきた。ここの街に関すること。
“ここは思い出に出会える街、って呼ばれているらしい”
“もとあった街の部分に砂漠が現れた”
“ここには魔物が住んでいて、それが街ごと飲み込んだ”
「・・・・」
あのときは俺は騙されたみたいだ、って兄貴が苦笑いしてたっけ。まあ、噂は噂に過ぎないだろうし。旅人をからかうやつってのはどこにでもいる。
でも・・気になることがあった。
交錯する噂。オイラが手に入れた、見てきた現実。食い違い。夢。大切なヒト。気持ち。
「・・・まさか。」
“そこ”に思考が辿り着いた瞬間、オイラの頭の中が一瞬、ぱっと真っ白になる。そしてその中に・・
「・・・っ!!」
激しい頭痛と共にフラッシュバックのような閃光。まるでこれ以上この現象に触れるなと誰かに思い切り脅迫をかけられているようだ。そして、その脅迫と共にオイラの頭の中に光景が浮かび上がる。これを見せるから帰れ、とでも言いたげに。
・・そうだと、思っていた。
光。光景。オイラが医者として学んできた日々。夜の帳が落ちた中で勉学に勤しむ一つの光。ライトの輝き。羅列された文字。キーリア先生。その優しい微笑み。説教の時の怖い顔。望み。気持ち。高鳴る鼓動。好き。大好き。慰み。忘れるように取り組んだ勉学。それが認められた日。新しい旅立ち。そして・・・
「!!」
ガツン、という衝撃と共に抜け落ちた記憶の最後が、最後の光景が入ってくる。次々と、次々と・・。
気付いた。気付いてしまった。そのことに、決して触れてはいけなかった部分に。
「はは・・。」
苦痛はあるのに笑いが零れる。ありえない、そんなの、アリエナイ。
「はは・・・はははは。」
自嘲の笑みが零れる。乾いた、やけになったような声。
“―――には、犠牲が必要となる”
「最初から・・・・分かっていたんじゃないか。答えは・・・ここにあったんじゃないか。」
再度、その無理矢理詰め込まれるという感覚に、苦痛に顔を歪める。涙が零れる。見たくないもの、見てはいけなかったもの。オイラはその場に倒れ、うずくまる。
「やめろ・・やめてくれ・・お願いだ・・・・ナンデ・・。」
気付かなければよかった。そう心の底から思う。
部屋の中で、頭を抱えたまま、その痛みを吐き出すように、言葉を連ねる。こうでもしないと今すぐ自分が壊れそうだ。
「兄貴・・助けて・・いやだ・・オイラは・・・オイラ・・兄貴・・助けて・・。」
そうか、ここに来てから・・兄貴が来てから感じていた違和感は・・その形は・・。
違う、元々・・・形なんてなかったんだ。きっと。
それは最初から捻じ曲げられていたんだ。
「ナッツ!!」
オイラはその声を聞いた。ずっと聞きたかった声。聞いていたいと思っていた声。
でも何故だろう、果てしなく遠い。オイラを抱きかかえてくれているはずなのに、顔が、口が、大声で言葉を紡いでいるというのに。触れているはずなのに。
こんなにも・・・遠い。
「ア・・・ニ・・キ・・・。オイ・・ラ・・。」
やっと紡いだ言葉。それだけ紡いで・・オイラは気を失う。
気付いていなかった。それでも答えはずっとあったんだ。
自分がその答えを見ていなかっただけ。
気付かなければよかった。
気付かなければどれだけ楽だったか、分からない。
答えは近くにあった。
常識からはずれて
常識だけで判断して
その矛盾が生まれて
気付いてしまった
この街の元凶は・・・・
オイラ、だったんだ。