第三話  夢と現実とそのちょっと先

 

目覚め。瞼が開き、ゆっくりと視界を広げていく。

 

目の前に入ってきたのは朝の眩しい光ではなく、窓から差し込んでくる月の白く淡い光だった。夜の帳の中に一つ、その小さな窓から入ってくる明かりの形が床に浮かんでいる。その小さな窓は石を削り取って無理矢理窓枠をはめこんだものであったので出来る明かりも不恰好に出来ていた。しかしそれだけの光だけであっても眩しいくらいにその存在を誇示している。

映し出されるシルエット。俺の手。数少ない荷物。そしてその空間。現実。

俺は戻ってきたのだ。暗い夢、俺の闇、そしてナッツの闇の中から。

それは捉えがたい夢であった。しかし真実なのであろう。それだけは俺の中で何故か確信が持てる。おそらくこの確信は、夢の光景が俺の昔の記憶と合わさってより鮮明に、より確かに思い出された為にくるものだろう。昔・・・といっても五年前だが、俺も少しは成長したのだろう。夢の中で第三者としてその光景に接することによってすべてを理解できたのだ。

 

あれは・・・・真実なのか。

 

・・・そう、すべてが繋がっていた。しかし俺がまだ未熟だったばかりに、その繋がりを曖昧なものにしたまま、確信に持っていくことが出来なかったのだ。

もっと俺には出来ることがあったはずだ。もっとナッツにしてやれることがあったはずなのだ。

もう一度目を閉じて過去を思う。俺の記憶の中では、やはり笑うナッツの姿ばかりが焼きついていて、落ち込んでいる姿なんてほとんど記憶には残っていない。

 

ナッツ・・・過去のお前はその笑いをずっと作り続けていたのか?

少しでも俺たちと過ごした時間がお前の救いとなっていたのか?

俺たちはお前の力になれていたのか?

お前は満足していたのか?

昔のお前は・・・

 

ホンモノだったのか?

 

 

 

 

心がずきずきと痛み、眩暈をおぼえる。こんなに周りが静かな空気を保っているのに、俺の心だけは乱暴にその鼓動を刻んでいた。俺の罪が自分の思い込みで次々と姿を現していき、そして俺の心と身体を蝕んでいく。助けられなかったこと、気付いてやれなかったこと。直接的な原因は自分にはない。だがそれに気付いてやれなかった自分に憤りを感じる。

静かに、静かに時は流れているというのに自分だけが物凄い速さで荒波に飲まれているような気がした。頭を上げるとそれが度が過ぎて壁にぶち当たる。ごん、という豪快な音が頭に響いて、すぐに頭が痛くなった。

「いてーっ・・・・・・・・ぁ?」

 

頭を抑える俺の目に、暗がりの空間の中でじっと佇んでいるその姿が映った。

ナッツだ・・。

今はシャツ一枚と、昼と同じのズボンと言うラフな格好をしている。帽子は、かぶっていなかった。

月明かりの入る窓の傍、ぼんやりとしたシルエットを浮かび上がらせながら、ナッツはどこを見るでもなくぼーっと佇んでいた。それは寝ているわけではなく、(立って寝ていたら、それはそれで問題なのだが)ただ佇むのみ。

「ナッツ・・?何をやっているんだ。」

俺が小さな声で尋ねても反応はない。それは聞いていて無視されていると言うわけではなく、聞こえていない、という感じだった。俺が立ち上がってナッツの肩に手を置くと、さも驚かされたようにびくりと反応を示し、驚愕の表情で俺を見た。これでもかというほど目を見開き、俺の顔を見つめたかと思うと、すぐにやんわりとした笑顔に戻る。

「あ・・・兄貴!?ど・・どうしたの?もしかして起こしちゃった?」

それはあまりにも焦ったような口調だった。これだけ涼しいと言うのに汗がじんわりと滲んでいる。

「?・・・いや、ちょっと嫌な夢を見てな。お前は何をしていたんだ?」

「夢、か・・。オイラは・・ちょっと考え事をしててね。」

「考え事、か?こんな夜遅くに?」

「うん、ちょっと眠れなくてね。ぼーっとしてた。そうだっ。それよりさ、兄貴がいいならちょっと外に出ない?星が、綺麗なんだ・・。」

「あぁ、そうだな。俺もちょうど目が冴えちまったことだし、それに・・・・。」

「それに?」

怪訝な表情で次を催促するナッツに、俺は出来るだけ感情を押し殺して、俺を見つめるナッツの顔をじっと見つめ返す。

「お前とちょっと話したい、と思ってな。」

いつにない真剣な口調にナッツも何かを読み取ったのだろう、表情を少し強張らせ頷いた。

「分かった。オイラも・・・兄貴と話したいと思ってた。」

俺とナッツは掛け布団を一枚ずつ持って外へ出る。かちゃんという静かな音と共にその空間には誰もいなくなった。

 

 

ナッツの借りている家の裏手には木の梯子が立てかけており、屋根の上に登る事が出来た。俺たちはその屋根の端に足を投げ出して座った。石で作られている家の屋根はごつごつとしていて手をかけやすく、思い切り足を踏み外さない限り落ちることは多分無いだろう。持ってきた掛け布団をそれぞれ羽織ったがそれでも若干寒さを感じるため、俺たちは二人、ピタリとくっついてお互いの温かさを確かめていた。

空にはナッツの言うように満天に散りばめられた様な星達が爛漫と輝いている。俺たちの前斜め上には半分の月より満月に近い月がその優しい光をこちらに向けていた。俺たちの周りにそれ以外の光が無い為にそれは一層輝いて見える。俺たちはしばらくその光景に酔いしれていた。

「綺麗だな。」

「うん。」


ナッツは俺の隣にぴたりとくっついて、俺の肩に頭をあずけている。俺は何の気にもせずそのままでその夜空を眺めていた。話があると言ったはいいものの、少し言うのをためらっていた。俺が言わんとしていることはもちろん、夢の中の話のことだ。それが本当のことなのか、それをきちんとナッツに聞いておきたかった。しかし、それを聞けばナッツが傷ついてしまうのではないかという気がして話しづらかった。だからこそ、俺はこうして何も切り出せずに空を眺めているのだ。ナッツの方を見ると、ナッツもこちらの視線に気付いたらしく少し上を見上げるようにして俺と視線を合わす。ナッツは照れ笑いを浮かべるとすぐに目を逸らした。少し顔が赤くなっているような気がするのは気のせいだろうか。

 

思っていたより外は寒く、掛け布団を持ってきてはいるものの昼間との気温の差は歴然としていた。ナッツの話によれば、これが砂漠の特徴のようなもので昼間と夜間ではかなりの気温差があるということだ。同じ場所であるのに昼夜がひっくり返るだけで別世界のようだ。ナッツにとってはそこはもう慣れた世界であったが、ここに着いたばかりの俺にとっては新鮮な、それに加えて神聖な地であるように思わせる。

「静か、だな。」

俺はまたそう短くつぶやいた。まったく話は進まない。

街は静かだった。昼間にここに辿り着いた時はここの住人はどうして昼間に活動をしていないのか、ということに思考を巡らしていたが、俺の考えたことはすべて違っていたのだろうか。

「静か、だね。」

俺の一言をそのまま繰り返すように、ナッツは趣深くそうつぶやいた。この天に広がる星の多さ、美しさに心を動かされている途中、というようなうっとりした声だ。俺は、ああ・・本当にな、とつぶやいて同じように天を仰いだ。

明かりも何も無い世界。ただ星と月の明るさだけが際立っているこの世界。俺たちはそんな場所にたった二人だけで存在していた。これだけ照らしてくれているのに少し物悲しさを感じるのは何故なのだろう。街があまりにも静か過ぎるから、だろうか。いや、これはナッツの過去を知ったことによって少なからず俺の中に生じたナッツに対する同情の念が、今感じているナッツの温かさと重なっているからであろう。

存在する意味。生まれた理由。何も無かったところからの出立。感じた心。感じる世界。自分を自分と感じる瞬間。

自分に対してはあれだけ嫌っていた同情の念を自分の中で抱いてしまっていることに憤りを感じ始める。

顔を下げ、ナッツの顔を見るとナッツはただ天を仰いでいた。それは感動している、というより魅入られているという表現が合っているようにただぼんやりと眺めていた。二年前、あんなに無邪気だったナッツが妙に大人びて見え、その姿にトクンと心を動かされる。これは同情の念からくる愛おしさなのだろうか。今の俺には、よく分からない。



「ここは・・・不思議なところだよ。」

「ん?」

突然その静寂を破ったナッツの言葉。若干の緊張を持って、ただ空を眺めたまま彼は続ける。

「ここに来ておかしいって思ったこと・・・あるでしょ。今、兄貴がおかしいって思っているだろうこと・・ううん、兄貴は絶対におかしいと思っている・・そのこと。それが、オイラがここに来ている理由だよ。」

「何だって?」

俺が尋ねると、ナッツは顔を下げ、ぶらぶらと足を動かした。

「兄貴は感じているはずだよ。この街が何か変だってことに。」

俺が驚きを隠せないままでいるとナッツは足を止めてさらに話を続ける。

「ここの住人たちは何故、昼も夜も活動していないのか、そして何故妙に現実味のある夢を見てしまうのか、でしょ?」

「!?・・・・何故。」

昔のナッツからは想像出来ないような悲しみに満ちた顔。俺がそれを横からずっと眺めているのに反して、ナッツは俺のほうにはまったく振り向かなかった。

「それは当然感じることだから。ここに来て不審に思わない人はきっといないと思う。」

「・・・ちょっと待て。ここの住人は昼も夜もまったく活動していないのか?それも一日中・・・ずっと?」

俺の問いかけにナッツはただ一つコクリと静かに頷いた。

「ここにいる人たちは皆、ずっと・・・・眠り続けているんだよ。」

「ずっと・・・眠って?」

「そう、ここにいる人たちはもう一ヶ月近く眠り続けているんだ。そしてそれが兄貴が言う“夢”っていうのにも大きく関係している。」

「な・・・。」

「その病気・・・ううん、奇病とも言うべきこれを調査するために、オイラはここに来たんだ。」

そう言って胸のところでぎゅっと握った拳は、小刻みに震えているような気がした。

「病気・・・なのか、これは。」

自分の理解できないこと、世界に認知されてないものを“病気”と判断する。ヒトの身体、または精神に異常をきたすとしたら、その判断は間違っていないようにも思える。しかし、眠り続ける、ということが病気につながる、という概念は俺の中には存在していなかった。

「ここで流行っている奇病、オイラはその病名を“夢現境(むげんきょう)”と呼んでる。“夢”に現実の“現”に境界の“境”。といってもこれはオイラがつけた名前なんだけどね。新種のものらしくてこういった発症例はめずらしいみたい。」

「夢現境・・。」

夢を現実と思ってしまうその世界に浸る、ということなのだろうか。ということはつまり・・・

「夢を見続けている、ということなのか?それは。」

ナッツは再び頷いた。

「ヒトの眠りには二種類あるってこと、知ってる?“眠っている”という意味では一まとめに出来るんだけど、その眠りも状態によって二つに分けられるんだ。」

ナッツの問いに、俺は少し考えた後、答える。二種類の眠り、それはヒトの身体に影響されるもの。

「確か・・レム睡眠、ノンレム睡眠、とか言ったな。」

「そう。あえて詳しく言うけど、ノンレム睡眠って言うのは熟睡時や、浅い眠りから眠りが深くなっていくときなどの睡眠のことを言うんだ。睡眠時間の約八割がこの状態だって言われてる。それに対してレム睡眠って言うのは逆に脳が半分覚醒状態にある浅い眠りのことを言う。このレム睡眠の時にヒトは夢を見るんだ。まぁ、必ずと言うわけではないけどね。そしてヒトはこのレム睡眠とノンレム睡眠を寝ている間に何回か繰り返すんだ。そのほうが脳波も安定するんだって。」

つまり今この街の住人は、常にレム睡眠の状態であるということなのだろうか。俺はナッツの喋る一言一言を頭の中で理解しながら聞き入っている。でもレム睡眠の状態が常に続くってことは・・。

「ノンレム睡眠はヒトの睡眠に無くてはならない、重要な部分を担っているんだ。脳の休憩、呼吸の安定、体力回復、脈も落ち着いて完全に身体が休んでいる状態になる。だけど、この土地はノンレム睡眠ではなく、レム睡眠だけを誘発する現象が起こっている。・・・これが何を意味するか、分かる?」

レム睡眠“だけ”。その部分を強調して言った。ノンレム睡眠を起こすことなく、レム睡眠が長く続く。つまりずっと夢を見続けていると言うこと。脳が完全に休むことなく、それが続くとしたら・・。

「いつかは疲弊して・・・死に至る?」

あたり、とナッツは一つ頷いた。

「確実とは言えないけどね。一応は寝ている状態だからいいけど、体力的にも精神的にも少しずつ削られていく。放っておけばいつかは、ね。オイラが定期的に栄養剤を与えてるけど、それだけじゃきっと足りないんだと思う。」

そう言ってナッツは石と石の溝に積もった砂を一握りとり、そして前へと手を突き出した。徐々にそれを開くと、その手から何の音をたてるでもなく砂が零れ、空の闇の中へと消えていく。

それがここに住んでいるヒトたちの命の灯火であるかのように。少しずつ、少しずつ。消えていく。

「だからオイラはここに来たんだ。この症状を理解、解明、研究、調査をすること。それがオイラの役目なんだ。でも実際に一ヶ月間、調べていても分からないことだらけでね。妙に現実味のある夢を見るって事とその症状にかかるヒト、かからないヒトがいるってことだけかな。」

その観点から見れば兄貴は後者だったから良かったね、とナッツは付け加える。

・・・・ということはもちろん前者だったらナッツが症状の解決を図るまで、または俺は死ぬまで夢の中だった、ということなのか?それを考えて、俺は背中に悪寒を感じた。

「ちょっと待った。何でそれを昨日教えてくれなかったんだよ!?俺だって症状にかかるかもしれなかったんだろ?だったら昨日の時点で少しでも言ってくれりゃ良かったじゃねぇか!!」

俺が若干取り乱してそうナッツに言う。もちろん声を押し殺して喋るのを忘れていない。ただ、ここに住むヒトがすべてその症状にかかっていれば、大きな声を張り上げて言った所で起きないだろうことは分かっている。それでも声を押し殺してしまうのは、まぁ夜だから、という単純な理由だ。

ナッツは俺のその慌てぶりにも動じることなく、ただ前を見つめている。俺がもう一度声を荒げて、おいと声をかけようとした時、ナッツはまた口を開く。

「夢って・・・広いよね。」

「あ?」

ナッツのしみじみとしたセリフの意味が分からず、俺は首を傾げた。すぐに感情が落ち着きを取り戻す。

「将来の夢、空を飛ぶ夢、英雄になる夢、家族と過ごす夢、恋人と過ごす夢、おいしいものを食べる夢・・・。それらの夢はずっと続いて欲しいと思わない?夢の中では何だって自分の思うとおりのことが出来て、むしろ夢のほうが自分という存在を強く感じることが出来ることもある。辛い現実に目を向けるよりもずっと夢に浸っている方がいい・・・なんて思ったことあるでしょ?」

「・・・・」

思ったことないわけはない。子供の頃は夢から目覚めた時に、それが現実とは違う世界であるということを知って泣いたりしていたほどだ。良い夢では自分の暗い部分なんて垣間見る事なく浸ることが出来る。それは束の間の優しい抱擁で、優しすぎてずっとそこに身体を預けていたいほどだ。自分の求めている世界が、そこに無意識に映し出される。

「どうしてかな・・・昨日久しぶりに兄貴に会って、変わっていないなあと思っていたのに、何か引っかかるような違和感を覚えたんだよね。直感的に、兄貴にはこの症状が出ないように思えた。ただ自分の勘だけで黙っていたことは謝る。でもその違和感がどうしても気になって・・なんだか話せなかったんだ。」

ナッツが悲愴の目で俺を見ている。その顔は暗がりによってさらに明暗をはっきりとさせ、その表情の強張りを見て取ることができた。俺は何か見透かされているんじゃないかと思い、目を逸らし空を仰ぐ。あれだけ綺麗だと思っていた空の光が、そこにあるはずなのに目に入ってこない。

俺はナッツと久しぶりに再会した時にとりわけ普通に装っていたはずだ。しかしナッツには少なからず、その平静さが逆に違和感を覚えさせるものとなってしまったようだ。だが、俺の仲間のことは・・まだ知られてないようだ。

「勘だけで何も言わなかったのか。なんつーやつだよ、お前は。」

俺は笑って頭の毛をかきあげた。それは呆れたような笑顔として見せたつもりだったが、自分の中ではこうしてナッツに対して本当のことを打ち明けることのできない自嘲でもあった。

俺が笑っていてもナッツは笑っていなかった。ただ、俺を真剣な目で見つめていた。

「兄貴・・夢は夢でも、嫌な夢を見たって言ってたよね・・・。どんな夢を見たの?」

「・・・。」

ナッツはその真っ直ぐ見つめる視線をまったく崩さない。その視線が俺の身体を、心を貫き、それに背中がぞくっと震えた。ゴクリと生唾を飲み込んでも喉はずっと渇いたままだった。

「それは・・・俺の元仲間であるということからの興味か?それとも研究者、もしくは医者としての質問か?」

俺は声を低くしてそう言う。まだ若干のためらいがあった。だからこそ、核の部分に触れられないでいる。話した時に、ナッツがどんな反応をするのかが怖かった。

怒るだろうか。泣くだろうか。無理をして笑うだろうか。

どれにしてもあまり見たいものではなかった。過去は辛ければ辛いほど掘り返さないほうが穴は広がらない。それでも・・・言わなくてはいけないのだろうか。

「両方。オイラは兄貴の元仲間であって、それでいて医者でもある。そしてそれらはどちらも捨てることはできない。だから・・・大丈夫。」

ナッツは笑ってみせる。しかし、俺の物々しい雰囲気を読み取ったのか、どこかそれもぎこちないものだった。肩が震えているように見えるのは寒さのせいだろうか。“大丈夫”という言葉は俺に対しても、そして自分自身に対してもかけているような気がした。意を決して俺はボソリと言う。

「俺が・・・俺が見たのは・・・お前の過去だ。」

「え・・・。」

ナッツの表情が急激に曇った。そりゃ思いもしなかっただろう。たいていの夢の場合、見るのは自分に関すること、自分の身の回りに関することがほとんどだ。それに“過去”という表現は俺の知らなかった部分のナッツの昔を意味している。その反応も無理はなかった。俺は開けてはいけない箱を開けてしまったのかもしれない。

「触れて欲しくないならここでやめる。お前が生まれてから俺たちと出会って旅立つまでの記憶だ。それはお前にとって辛いことだろうから、無理に押し付けたりはしない。」

ナッツの顔に、ほんの一瞬驚きのような表情が見て取れた。しかし、すぐに顔を伏せ、それから自嘲気味に笑った。久しぶりに会ったナッツに、俺は何度も悲しい顔をさせている。それが俺の心をまたずきりと痛ませた。

「そっか・・・兄貴にだけは知られたくなかったんだけどな・・・。」

ナッツのその姿を見て、俺の中ではふつふつと激情が沸きあがってくるのを感じた。それを精一杯抑えつけようとするがそれはじわじわと俺を浸していく。それは沼のようで、どれだけあがいても抜け出せない。

「どうして・・・だったら俺以外には話しても良かったのかよ・・・。」

その込み上げてくる想いを、止められない。

「そうじゃないよ・・・・オイラは・・。」

消え入りそうな声。本当は嫌なのに・・こんなに胸が苦しくなるほど嫌なのに・・・。

「そんなに俺は頼りなかったのかよ!!・・・・お前にとって俺たち仲間は何だったんだよ!!」

憤り。怒り。自分に対しての?それともナッツに対しての?曖昧な感情をただぶつける。

「違う・・違うんだよ・・・・オイラは・・・オイラは・・。」

「違わない!!お前はいつだって笑っていた!!あの笑顔は、全部嘘だったのかよ!!」

「オイラは・・・ただ・・・ごめん・・・ごめんなさい・・・。」

しかられた子供のように萎縮するナッツ。

途切れる声。月明かりに反射する一筋の光。それに気づいた時、俺は自分の愚かさにやっと気付いた。慰めの声をかけるつもりが、それはナッツに対して八つ当たりをしているに過ぎなかった。自分が何も出来なかったこと、自分が気付いてやれなかったこと。それをナッツが言わなかったから、ナッツが・・・ナッツが・・と理由を付けてナッツを追い詰めた。

 

俺は・・・俺は何をしているんだ・・・・ちきしょう・・

 

「・・・・・・。」

俺は何も言えなくなった。そのかわり、ナッツの身体を自分の方に引き寄せる。

泣いていても温かさを持っているその身体が、しゃくりあげるようにして俺に預けられる。俺の中で声を押し殺して、泣くナッツ。

「ごめん・・・ごめんな・・・ナッツ・・・・気付いてやれなくて・・・・ごめん。それと・・よく頑張ったな。」

 

目の前が霞むような感覚を覚える。

 



俺の目からも一つ、

 



涙が零れていた。

 

 

 

 

俺は夢で見聞きしたことをすべてナッツに話した。ナッツの村、しきたり、厄災、暗闇、死、壊滅、それらはナッツに確認したところ、すべてがまごうことなき事実だった。

「怖かったんだ・・・ずっと。言おうと思っていたけど、言えなかった。オイラが呪われた子だってことを知ったら、兄貴達に嫌われるんじゃないか、離れていってしまうんじゃないかって。それが不安だった。それだったら悟られないようにずっと笑っている方がマシだって思えたんだ。」

「そうか・・・。」

昔のナッツは今の俺と良く似ているような気がした。自分の暗い部分を見せるのを嫌い、明るく振舞う。他人に対して引け目を感じながらも平静を装う。そんな自分にいつしか憤りを感じる。

昔の俺にはナッツの笑顔は自然なものに写っていたがな・・・。

「でもそんな不安も吹き飛んでしまうぐらい兄貴達との旅は本当に楽しかった。毎日が馬鹿みたいに笑いの連続で。あぁ、オイラはこの笑顔に支えられているんだなぁって思って。嬉しくて、泣きたいほどに嬉しくて、でもやっぱり笑いは止まらなくて。心がどんどん温かくなって・・・幸せだった。だからずっと笑えていたんだよ。ずっと・・救われていたんだよ。」

「そう・・・だったのか。」

感慨深く俺は頷く。そして気付く。

「ん?・・・馬鹿みたい、とは失礼だな。」

そう言ってナッツの頭をぐりぐりと手で擦る。少し・・イヤ、かなり力を込めて。

ガシガシ、グリグリ。

「痛い!痛い!!擦れる!擦れてるっ!!擦れてるってばっ!!禿げる!!一部分だけ禿げる!!」

本気で痛がっているナッツの頭から手を放し、俺は腹を抱えて笑う。ここに来てからの一番の笑顔を今作っているに違いない。作り物でなく、本物の。ナッツはひーとか言いながら擦られた部分を必死に撫でている。最初は俺を睨んでいたが、俺が笑っているのを見て、すぐに一緒に笑い出した。

「あははははっ!!あの頃は楽しかったよなぁ。毎日のように馬鹿騒ぎしてた。」

「あはははっ・・・あ、自分で馬鹿って言った。」

「うるせぇっ。今思うと妙に最近のように思えてくるなぁ。俺たちの旅は。」

「オイラ、いっつもドジ踏んでた。子供ってからかわれてた。」

そう言ってむくれるナッツ。

「お前よく転んでたもんな。それに小さかったし。」

「小さい言うなぁっ!!あれから身長も伸びたんだよっ!!」

「どのくらい?」

「う・・・・」

「あはははっ!!お前はそんなことにいつまでもこだわってるからまだまだ子供なんだよ!!」

「なにを〜!?」

いつの間にか二人で大声で笑い転げていた。夜なんて構いやしなかった。今は俺たちしかいないし、聞こえるものも聞こえない住人達がいても彼らは彼らで楽しんでいる。思い出に包まれ、夢の中で・・・

 

ん・・・?

 

「ちょっと待て・・。じゃあここが噂の街、なのか?」

笑いを中断されて、まだ物足りないと言った顔をしていたナッツが突然神妙な面持ちになった俺に怪訝な顔を向けた。

「噂の街?」

「何だ、知らないのか?この砂漠の上に、別名“思い出に出会える街”って呼ばれている街があるってことだ。それに一ヶ月ぐらい前に元あった街の部分に砂漠が突然現れただの、街の人間が一斉に消えただの、根も葉もない噂がはびこってるぜ?」

俺は以前立ち寄った街でそんな話を聞いていた。その街に行けば昔出会ったヒトに偶然出会えるという話だ。俺はそんな話、作り話かと思っていた。しかし、どんな形にせよ昔の友人に会える、亡くなった、愛したヒトに会える、子供に会える。ここで眠っているヒトたちがそうなのだとしたら噂も名ばかりじゃなかったようだ。ただ、その偶然の形は夢、というここではない違う世界のものであるが。

「思い出に・・・出会える街?・・・・・そっか、現実で会えることはもう出来ないかもしれないから夢の中で会う。だから思い出に出会える街。ここが・・・そう呼ばれているなんて知らなかった。確かに・・・そうなのかもしれない。だとしたら・・・ううん・・やっぱり・・いや、まだ・・・。」

ナッツはぶつぶつと何かを呟いている。深く考えたり、何かを思いついたようにハッとなったり表情がころころ変わっている。この噂が、少しでもナッツの役に立ったのだろうか。

「俺が見た夢の世界も、決していいもんじゃなかったが“思い出”の一部なんだろう。俺だけ長い時間それにかからなかったって言うのがひっかかるところだが・・。」

それを聞いたナッツは、んー・・・と顎に指を突き、考える。

「あぁ、日頃の行いが悪いから、いい夢を見ることに拒まれたんじゃないの〜?」

ふざけてナッツが言った言葉は意外にも俺の核心を突いたものだった。日頃の行いが悪い、つまりそれは俺が今まで感じてきた罪の数々。誰に拒まれているのか、と聞かれても分かるわけではない話だが。

「ああ・・・そうかもな。」

俺はしんみりとそう呟いた。突然落ち込んだ俺に、ナッツが慌てて次の言葉を探している。

「え・・・あ・・・ちょ・・・やだなぁ、本気にしないでよ。冗談、冗談だよ〜兄貴。兄貴はいつだって前向きで強くて、頼りになるヒトなんだからさ。そんな顔しないで、ね?」

違う、お前が思っているほど俺は強くない。俺はいつだって臆病だったし、いつだってここぞというときに何も出来なかった。そう、仲間が死んだあの時も。日頃の行いが悪いと言われてもおかしくない。でも・・・それでも頼りになる、と言われれば心の中のどこかで嬉しいと感じる。心が少しでも救われる。

「ありがとう・・・・。」

俺が素直にそう感謝の言葉を述べると、その言葉にナッツは何故か顔を赤くした。

(あー・・・もうこの素直で純粋な所が罪、だよなぁ・・・。)

「あ?何か言ったか?」

「ううん、何でもないっ!!」

そのまま一回転してしまうかとも思われるぐらいぶるぶると首を横に振る。そして俯いてしまう。顔がさらに赤くなっているのを見て、俺はさらに小首を傾げてしまう。




「なぁ、ナッツ・・・俺が今、お前にしてやれることって何かねえかなぁ・・・」

「な・・・何さ、急に。」

「今までの、俺がお前のことに気付いてやれなかったこと、それのせめてもの侘びだ。それが俺の償いにもなる。」

俺はナッツの顔を真剣に見つめて言った。ナッツはさっきから狼狽した状態のままだったが、俺の目を見て姿勢を正した。

「こうして兄貴の傍にいられるだけでも充分幸せなんだけどな・・・。でも敢えて言うなら・・・」

「敢えて言うなら?」

ナッツが頭を、頬をそして全身をせわしなく掻く。俺は意味が分からず、ただ答えを待つだけだった。ナッツは申し訳なさそうに頷く。



「・・・・寒いから、もう一度・・・もう少しだけ・・・ギュッとしてくれませんか?」



突然の敬語。違和感を覚えながらも、俺は先程と同じようにナッツを自分の身体におさめた。


「うわぁ、暖かい・・・。」

「こんなんでいいのか?」

「うん・・・。兄貴、オイラは幸せだよぉ。」

俺は何か胸のうちに湧いてくるような気がしたが、それが何か分からなかった。

「ナッツ・・・ごめんな。」

「もういいよ・・・だから、もう少しこのままで・・・。」

「あぁ。」



俺は・・・何だか救われたような気がした。

 

 

 

 

温もり。

優しく、それでいて熱く。

ただの口実だった。寒いなんて嘘。空気に反して身体はずっと熱くなったまま。

願っていたこと、その心。包まれ、弾ける。心地いいその鼓動。

こんなにも近くに寄り添っている。こんなにも感じられる。それが何よりも嬉しい。

自分がどうだったか、なんて過去はどうでもいい。本当はどうでもいいわけはないんだろうけど。

ただ、今。

この時。

ただ、今。

この幸せ。

何よりも幸せ。

何を思っているのかは分からないけど・・・

この温かさは嘘じゃない。まごうことなき、その存在。

夢であるならばずっとこのままで。

現実であるならもう少しこのままで。

オイラにとって兄貴は頼れる存在。他人に目一杯誇れる存在。自分にとって・・・

大切な存在。

伝えたい想いがあった。叶えたい夢があった。

でもまだ勇気が足りない。まだ、伝えらない。

いつか、絶対に。

 

いつか?

いつか、っていつ?

明日?明後日?それよりも後?

いつ?

いつか、なんてあるの?

きっと別れが来る。それは間違いなく近い。

オイラに時間は残されている?

オイラはいつまでここにいられるんだ?

分からない。

それともすでに分かっているのか?

それすらも分からない。

不安。焦り。寂しさ。

 

 

・・・いや、そんなことは今は考えないでおこう。

ただ、今の感情に、素直に喜びを感じよう。

 

 

「前もそうだったけどさ、お前って俺によく・・くっついてくるよな。何でだ?」

「う゛ぇ?」

 

今ここにいない兄貴達。ここに以前と変わらない“鈍感”がいます。

・・・・まぁ、そこが良かったりもするんだけどね。

 

 

 




温かい光の中の小さな闇。

 

オイラは・・・これ以上のことを望んでもいいのでしょうか・・・。

 

 

 

 

 


第三話・夢と現実とそのちょっと先   終

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