特別章 第一話 彼はそして砂漠の上
時間を戻すことが出来たらどれだけいいだろう・・・このところよく、そんなことを考える。
気持ちの整理がつくまで一人で、とか言ってラシエの村を出た割には今まで何も変わっちゃいなかった。
俺は仲間の死を未だに引きずったまま、こうして生きている。
俺も一緒に死ぬことが出来たらどんなに楽だったろうかとさえ今では感じているのだ。
心に深い傷を負っていた。それは時間が経てば経つほど深く、重くなっていく。今でも夢に見る、仲間と過ごした日々。懐かしい日々は俺に安らぎをくれるはずなのに、何故助けられなかったのか、何故一緒に付いて行かなかったのか、それらの罪悪感だけが襲ってくる。どうして、どうして。
そんな感情にとらわれていても、俺は極力、街で会う人には人当たりよく過ごしていた。見ず知らずの奴に自分の奥底の感情を悟られるのも、話したとして同情されるのも、あまりいいものでもない。それならいっそ、感情を悟られないようにしている方が楽だ。
笑顔の奥に潜む暗闇。俺の中にはずっとその暗闇が渦巻いていた。ときにその暗闇に飲み込まれそうになる。それでも俺はずっとその暗闇を押しとどめていた。
“笑顔を作っている”
その自分に憤りを感じることもある。それでも哀れみを受けるよりはきっとマシだ。
いつでもあいつらとは一緒にいたから・・・。
いつでも皆でおもしろおかしく生きていたから・・・。
何故だろう・・・今、物凄く・・お前らに会いたいよ。
オレハ・・・・ナンノタメニ、タビヲシテイル
*
「くっそ・・あちぃな。」
腕で乱暴に額の汗を拭い、俺・ロックは小さく悪態をついた。
ラシエの村で秋とラークの二人組みに出会った後、俺はずっと一人で旅を続けていた。
目的の無い旅。ただ、もくもくと歩き続ける旅。
どうせならあのまま秋達に付いて行けばよかったのかもしれない。
“気持ちの整理が出来るまで”
そう強がって出てきたのに、本当に情けない。自分がこんな女々しい性格をしていたなんて。前はいつだって、希望に満ち溢れていた。そして、更なる期待に胸を膨らませていた。
俺は気付いたんだ。それはまわりに必ず自分のことを支えてくれる仲間がいたからだったんだ。自分と共に歩いてくれる彼らがいたから。対等に笑えるやつらがいたから。
今はそれも失って、支えてもらうやつもいない。それがこんなにもつらいことになるなんて思ってもいなかった。
「くそっ・・・ホント、情けないよな。」
もう、泣きたいんだか笑いたいんだか、分からなくなってきたよ。
今、俺が歩いているところはこの世界ではめずらしい砂漠地帯。容赦なく照りつける太陽。昼をとうに過ぎて太陽はだいぶ落ちてきてはいるものの、その暑さは揺ぎ無い。
歩くたびに足をもつれさせるうっとうしい砂。砂から伝わる熱。暑さが見せる揺らぎ。
そのすべてが俺に不快感を与えてくる。俺は持参の水筒から水を少量、のどに流し込んだ。
ふたを閉めてからその水筒を振ってみると、なんとも寂しい音が聞こえてきた。
残り少ない、そう確信する。
額からは次々と汗が流れ落ち、毛に染み込んでいく。自分の体中の水分がすべて抜けでてしまうのではないかと思うほど、それはとめどなく流れ続けていた。
「やばいな、こりゃ。」
この砂漠地帯に入るまでに充分な準備をしていなかったことが悔やまれる。
食糧も残りわずか、水も残りわずか。このまま歩き続ければきっとそれも尽きて、死への道へ一直線だ。ん?ここで死んだら干からびるのか?
・・・こんなところで干物になるのはごめんだ。
「ん?」
揺らぎで前がちかちかしている。何か前に街のようなものが見えた気がしたが・・・。
あれだ、これはこの暑さが見せる蜃気楼ってやつだ。オアシスではなく街だっていうのが気になるが。
ん?
目をこすってからもう一度前を見つめると確かに何かあるようだ。
幻覚じゃ、ないのか?
助かった・・。
安堵の息をもらす。揺らぎの中ではっきりと浮かび上がってくる石造りの建物。まだちょっと歩きそうだが、あそこにつくのは苦ではないだろう。なんとかまだ歩くことは出来る。
幻覚じゃない、そう信じながら俺は歩き出した。
「本当に街だな。」
俺はその街の入り口に立ち止まって周りを見渡した。
石造りで造られた家々が立ち並び、それぞれの家には埋め込むように窓や扉が取り付けられていた。木でなく、石で造られているのは自然な形が砂地によく収まるのと、砂嵐を防ぐのに都合が良いからだろう。
「こんなところに街があるなんてな・・・。何にせよ、助かったな。宿でも見つけてそこに泊まらせてもらうか。」
そうつぶやいて、街の中に入った。
違和感を覚えた。
これだけの家が立ち並んでいると言うのに外には誰も歩いていない。
昼時であるのに、だ。
生活している様子はあるから誰もいない、ということはないだろう。
ここの住民は砂漠の暑さを避けるため夜型で生活している、つまり昼は睡眠をとって夜活動するという昼夜逆転の発想を取り入れているのかもしれない。
はたまた、昼は別の場所へ全員が移動していて何か儀式のようなものを行っている、ということも考えられる。
それとも他に理由が?
答えの出ない疑問を繰り返しながら立ち尽くしていると、本当に微かに耳に音が入り込んできた。
規則正しい静かな音。
それは何かの呼吸音のようだった。落ち着いたものであるから寝息のようなものであることが分かる。
俺は耳をそばだててから、その音が聞こえる方に足を進めた。
少し歩くと俺は一軒の家の前に立っていた。どうやら呼吸の主はここにいるようだ。
扉を叩こうと思ったが、さすがに睡眠中の人間を起こすことにはためらいを感じた。俺はとりあえず窓から覗き込んで見ることにする。
木枠で四分割され、ガラスをはめこまれたその窓越しに中を覗くと、すぐに人が眠っているのを確認することが出来た。それは茶色い毛色を持ち、頭の所に黒い三本線が入っている猫の獣人だった。仰向けになって水玉模様の柄のついた掛け布団を肩までかけている。
こんな砂漠の真ん中なのに暑くないのか。
そのあたりはおそらく、慣れなのだろうか。そうでない俺にとっては見ているだけで汗が噴出しそうな感覚を覚えた。実際、もうすでに暑さのせいで汗は滲み出しているのだが。
暑さによる苦悶の表情を一切見せることなく、その猫獣人はぐっすりと眠っていた。落ち着いた呼吸により、布団がゆっくりと上下に動いている。時々笑ったりしているのは何か楽しい夢でも見ているからなのであろう。
あぁ、だらしなくよだれが垂れている・・・。
枕にべっとりと染みが出来る。それを見てつい微笑んでしまう。ここで起こすのは、申し訳ないな。
俺はゆっくりとそこを離れることにした。
とにかく人がいることは分かった。おそらく他の家でも同じように眠っている人がいるのだろう。あながち夜型の人が暮らしている、というのは間違いではないようだ。となると、夜になるまでどこかで過ごしていなければならないのだが・・。
どうしたものか?
「コラー。」
俺が道の真ん中に立ち尽くして考えているとどこからか声が聞こえた気がした。少し幼さの残る甲高い声。確かにその声が聞こえた気がした。
「こっちだってのー。」
俺が中々見つけられないのを見兼ねたのか、その声はもう一度大きな声を発した。探していて時間がかかった訳ではない。自分の中ではこの街の人間は夜型であるから昼は誰も外にいないと勝手に解釈していたからだ。つまり、最初は幻聴かと思っていたということだ。
その姿は少し離れた石造りの上にあった。日差しが強いので掌でひさしを作って光を遮る。
光の造る影によってはっきりと姿は見えないが、ぼんやりと耳や尾が見えたことから、それが獣人であることを認める。・・背の高さからして、子供だろうか?
その影はこちらが気付いたことを悟ったのか、家の端に仁王立ちになって腰に手を当てた。何だか公園とかにいそうなガキ大将に見えた。
「こらっ!!この街は立ち入り禁止だって書いてあ・・・うわっ!?」
喋り終える前に、突風が一つ吹いて、その影をふらつかせた。踏みとどまろうとした足が、石の端を削り、そのままその影はバランスを崩す。
「危ないっ!!」
例え砂の上だとしても、落ち方が悪ければ危険だ。俺はとっさに飛び出していた。
間に合うかっ!!
俺はそのまま頭から飛び込んでいった。
届けっ!!
「ぶっ!?」
俺が飛び込んだところに丁度よくその姿が落ちて背中に激痛が走った。さらに思い切り飛び込んだせいで俺の鼻は半分、砂に埋まる形になってしまった。
俺にまたがるようにして落ちたその姿の主は、イテテテとつぶやいてから
「こらっ、ここは立ち入り禁止だって入り口のところに書いてあったろ!!」
・・そう言いやがった。あぁ、そうかい。謝るのが先ではないんかい。
人の上でふんぞり返ってやがる。突っ伏しているからこのままじゃ睨んでやることも出来ない。
「おい。」
俺は出来るだけ、低い声でそう言った。口の中で砂ががじゃりじゃり言っている。それをぺっぺっと吐き出すと若干楽にはなった。
「ん?」と上から一つ怪訝な声が聞こえた。
「立ち入り禁止云々より、先に言うことがあるんじゃないのか?」
未だに俺は突っ伏したままである。そんなのはお構いなしに上からどく気配も無く、その獣人はのんびりと考えているようだ。
「言うこと・・・・、えっと・・・、えっと・・・んー。」
・・・・。一発殴ってやろうか。
そう思ったのだが子供相手にそんなことするのも大人気ないというか・・。
そのあと、はっ!と声をあげてからポンと掌に拳を打ち付ける音が聞こえた。
やっと分かったか。とりあえず謝ってもらわないと気が済まな・・・
「ようこそ、サンドピークの街へ!!こちらへはご休憩ですか?それともご宿泊ですか?」
「はいはい、ご宿泊です、・・・・って違うっ!!」
そう叫んで俺は思い切り起き上がった。うわっと声をあげて、上に乗っていた獣人がひっくり返って砂の上に落ちた。
「こらっ!!何てことするんだ!!いきなり上から落ちてきたかと思えば、人の上に乗っかった後もどこうともしない、謝りもしない!!」
俺が子供をしかる親のように説教をし始めたそのとき、その獣人はひっくり返った状態から起き上がってから首を振って、毛に貼りついた砂を振り払った。今、やっと俺達は正面に向き合った。
「ん?」
面影。その獣人はにこにこと満面の笑みを浮かべてこちらを見ている。白色の毛並みを持ち、耳の下あたりから薄い灰色の毛が後ろに向かって生えている。その毛色を逆に強調させるように赤い帽子がちょこんと頭に乗っている。
両側にポケットのついた薄手の水色のジャケット、中は清潔感のある白シャツ。青色のカーゴパンツ。何が嬉しいのか、――俺をからかったことか?―――尻尾はずっとぱたぱたと揺れていた。
「ごめんごめん。でも子ども扱いするような言い方されるのは、こちらとしても感心しないなぁ。一応これでも十五歳になったんだからさ。」
そう言っておどけるようにまた微笑んだ獣人は、よっと勢いをつけて立ち上がった。
俺は言葉が出てこなかった。もちろんそれは恐ろしいものを見た(例えば幽霊とか怪物だとか・・)というわけでもなく、声と見た目がまったく違っていたから、とかそんなわけでもなく・・。
「え・・・ええ?」
俺はそのまま砂の上に座ったままそいつを見上げていた。
「ま、言いたいことはたくさんあるだろうけど、そんなに驚くことはないんじゃない?」
腕を組んで少し怒った素振りを見せる。しかし、それをすぐに明るい笑顔へと戻し、こちらへと向けた。
「お・・・お前、なのか?」
それだけ言うことが精一杯だった。
面影。驚愕。笑顔。太陽の光。影。声。幼い?いや、少し大人びた?
太陽に背を向けてその獣人は立っていた。太陽に負けないくらいまぶしい笑顔を向けて。
冷静に考えれば“お前なのか?”なんて言葉はおかしい。それでもその言葉だけで彼には充分、伝わったみたいだ。その獣人はもう一度砂に座り込んで言った。
「久しぶりだねっ♪兄貴っ。」
*
「まさか、ナッツがこんなところにいるなんて思わなかったよ。」
「うん。オイラも兄貴に会えるなんて思いもしてなかった。」
俺の隣で笑いながら歩き、そして俺がナッツと呼ぶそいつは前に俺達と共に旅をしていた狼獣人の子だ。本人はずっと大人だと主張しているが十五歳だったらまだ子供と扱われてもおかしくない歳だ。意地を張っているのか、それとも?
背も低いせいか、いつだってこいつは子ども扱いだった。
俺が三人の仲間と共に旅を始めたのは七年前、十五歳のときだ。何故こんなにはやく旅に出ることになったのか。それはまぁ、色々とあって・・・。
俺達はその二年後にナッツと出会った。山賊に襲われて滅びた街の中での唯一の生き残りがコイツだった。その頃、俺達は十七歳。そしてナッツはまだ十歳という若さだった。
そのころからナッツは体力的には俺達六人には劣っていたものの俺達の中で一番頭がよく、何事にも分別がつくやつだった。時に俺達はその思いつきに、突然の発言に驚かされたものだ。
そして、仲間になって三年という時期でナッツとは別れた。ある立ち寄った街で世話になった医者に薦められたのだ。「お前も医者にならないか、と。」
ナッツはその街に残ることに決めた。最後にはきっとお互い笑って別れられたはずだ。俺達の中には一人、二人涙を流していた奴もいたっけか。その中に俺が入っていたことは・・・まぁ、今は恥ずかしくて言えないな。旅には出会いも別れも付き物だ。自分ではそういうことは割り切っている方だとは思っていたんだがな。
まぁ、簡単に今までのことを並べるならこんなもんだ。
そしてあれから二年。俺は二十ニ歳。ナッツは十五歳。今こうしてココにいる。
ナッツに、着いて来てと言われ、俺達は横に並んで歩く。ナッツは後ろで髪を一つに縛っていて、歩くたびにそれがぴょこぴょこと揺れた。
「それにしても久しぶりだねー。二年ぶり、だよね?」
そう言ってナッツは俺に笑顔を向けた。その嬉しそうな顔は太陽に向かってまっすぐに黄色い花を咲かすひまわりを思わせた。毛色は白だが。そんなことを考えながら歩いていた。
「まったく変わってないな、お前。お前はここで医者の勉強か?あのときの先生もこの街に来ているんだろ?」
俺が笑い返しながら聞くと、初めてナッツは顔を曇らせた。
もちろん先生とはナッツをあずけた医者のことだ。確か名前はキーリアという医者だったはずだ。
「キーリア先生は亡くなったよ。」
「―――っ!?」
「一ヶ月前、別の街に出張で治療に行ったとき、運悪く盗賊に襲われて。オイラはちょうどその時一人、街で休暇をもらっていたんだ。」
死んだ?確かあの医者はナッツをあずけたときまだ四十になるかならないのかという歳だったはずだ。それがそんな若くして亡くなるなんて。
妙に現実をつきつけられた。死んだ、殺された。
・・・・無理矢理考えないようにしていた仲間のことを思い出した。
息が詰まる。胸がズキズキと痛む。息をすることを忘れそうになる。
「どーしたの?兄貴。」
ナッツからそう声をかけられて、俺はやっと自我を取り戻すことが出来た。
「あ、いや・・何でもない。」
そう、無理矢理笑って悟られないようにかわした。怪訝な顔をナッツは見せていたが、すぐに、そう?とまた笑い返してくれた。こうやって笑ってくれると本当に心が和む。一人じゃなくてよかったと、そう感じる。
「先生の死を聞いたときは本当に落ち込んだんだよ。もう立ち直れないんじゃないかってぐらい。でもこのままじゃいけないって思ったんだ。先生が救えなかった命、先生がこれから救うはずだった命を、これからは僕が救っていかなきゃって決心したんだ。だからもうキーリア先生がいなくても大丈夫。オイラ、もう立派な医者になったんだよ?へへっ。」
そう笑って、それでも言葉だけ無理に笑っているようにもしながら、くるっとまわって俺に背中を見せた。後ろのしばった髪が遠心力でぶらんと揺れる。俺の目に入ったものはその髪とジャケットの後ろの模様だ。ちょうど肩甲骨あたりに小さく羽根が描かれている。そしてナッツは俺にどう?とたずねてきた。どうやらこれが医者になった証だ、とでも言いたいらしい。しかし俺には分かる。
「ナッツ。」
声を落として俺はナッツにそう言った。するとナッツは振り返って意地悪くてへへっと舌を出した。
「へへへっ、ばれた?でも嘘じゃないんだよ?これがその証。」
そう言ってジャケットの前部分を裏返した。そこには小さな鳥のバッジがつけられていた。形は平和のシンボル、白い鳩。
これは世界で医者であることを認められたものの証である。それを知っているからこそ、俺はナッツの嘘を見破ることが出来た。
「ね?オイラ、一生懸命勉強して医者になったんだよ。後ろの模様はオイラなりの医療へ携わるものとして決意、みたいなものかな。ほら、人を救う天使、みたいな?」
そう言って、もう一度くるっと反転して見せた。水色のジャケットに輪郭のはっきりした羽根がそこにある。
天使、か。
でも天使と呼ばれるのは白衣の天使と呼ばれる看護婦(今は、看護士か)のほうではないのかと考えてもみるが、嬉しそうに笑っているナッツを見て俺はそんなツッコミをする気も失せてしまった。
「そっか。よく頑張ったな。」
俺はそう言ってナッツの頭を撫でてやる。最初は気持ちよさそうに微笑んで身を任せていたが、すぐに顔を強張らせて俺を睨みつけてきた。顔が真っ赤になる。
「もう、兄貴またオイラのこと子供扱いしたでしょ!!」
「はは、してないしてない。」
俺は手を横に振った。実際は少し、している。昔はよくこうやって怒らせてその反応を楽しんでいたりもしたし。
「してた!絶対してた。もう、昔からオイラだって成長しているのに、何だよオイラは身長だって結構伸びたしそれに・・・」
ぶつぶつとつぶやいて、いじけるようにしているナッツを見て俺は微笑んだ。
「悪い悪い。いや、久しぶりだなって思ってさ。」
くくく、と笑いを必死に堪えながらその反応を楽しむ。ナッツはだからってさぁ・・と悲しげな目で俺を見つめている。本当に懐かしい。顔見知りってのはいいもんだ。
「さぁ、あがってちょうだい。」
家に友達を入れる母親のように、ナッツは俺をその家の中へと招きいれた。石造りで下も石畳で作られたその中は広さの割にがらんどうとしていた。小さなテーブル、小さなキッチン。荷物は部屋の隅に小さなバックが一つ、あとは布団があるぐらいであとは本当に何もない。
ここはナッツが今借りている家らしい。どう見ても殺風景な部屋だ。もっと何かあってもいいんじゃないかとも思うが。俺は一通り部屋を見回してからその場にどかっと座り込んだ。考えていなかった今日の疲れがどっと押し寄せてきた。大きく息をついた俺にナッツは心配そうに顔を覗き込んでくる。
「兄貴、眠い?」
「あぁ、ちょっとだけな・・。何せここに来るまでに砂漠を三日近く歩いてたからな。」
「うわ、三日も?そうだよね、ここの砂漠って結構でかいし。それにしても兄貴も体力なくなってきたのかな〜?歳かなぁ?三日歩き通しくらいで疲れを見せるなんて。」
先ほどのお返しと言わんばかりにイシシシと笑いながら手を頭の後ろで組んだ。
「お前なぁ・・あの砂漠地帯を歩いてるだけでかなりの体力が削られていくんだぞ。涼しい地域を歩くのとは訳が違うんだよ。水はなくなってくるし、食糧もだいぶなくなってきてたしな。ここに着くことが出来て本当に良かった。もう少しここを見つけるのが遅かったら、多分干物になっていたからな。」
「あははは、狼の干物?おいしくないと思うよー。」
腹を抱えて笑うナッツに俺もつられて笑う。そこで俺はあることに気付く。
「ん?お前は大丈夫だったのか?ここまで来るのにはかなり苦労したんじゃないのか?」
ナッツは頭はいいが俺よりは体力がない。ナッツの体力ではここに来るのは必死だったに違いない。俺が尋ねると、ナッツは少し困ったような顔つきをして目を泳がせた。
「え、あ、うん。大丈夫だったよ。時間はかかったけど、それなりの準備はしていたし。それにアニキが来た方角と逆方向から来ればここって結構近かったりするんだよ。」
若干違和感を覚えながらも、俺がそうなのか?と聞くと、そうだよとナッツは一つ頷き、それからキッチンへと足を運んだ。二つのコップに水をとくとくと注ぐ。そしてその一つを俺に手渡した。
「そういや、お前はこんな危険を伴う場所に何をしに来たんだ?」
「え?オイラ?オイラはね、ここに調査をしに来たんだ。」
「調査?」
「うん、調査。えっと・・・そのことについては明日話すよ。とりあえず今日は兄貴も疲れてるだろうしさ。目一杯、おくつろぎくださいませ。」
「あ、あぁ。」
そう言って壁に寄りかかってくつろぐ俺を残し、一人キッチンに立つ。キッチンのそばに置かれていた袋から何種類かの野菜を取り出し料理を始める。俺はその姿をただ見つめていた。さっきは変わってないなんて言ったが、実際こうしてナッツの話を聞いているとどれだけ二年という時間が長かったのかが知れる。身体は前よりたくましくなっているし、背だってあれから伸びている。口調だってさらに大人びていた。二年、という時間の中でお前は成長したんだな。俺たちが馬鹿みたいに騒いでいる間もちゃんと自分のすべきことをやってきたんだな。本当にえらいと思う。
香ばしい匂いと、フライパンを振る音が俺の食欲をそそる。手際もいい。取り出した野菜を見事な包丁さばきで切っていく。ここのところは火の通ったまともな料理なんて口にしていなかったからありがたい。
「さ、出来たよ。」
そう言って二枚のお皿とスプーンをテーブルに並べて自分も座った。ニンジン、ピーマン、卵、玉葱などの入った炒飯。久しぶりの飯の匂いに俺は生唾を飲み込む。
「じゃ、いただきます。」
「召し上がれっ。」
俺はスプーンを手に取り一口、口に運ぶ。火の通り加減、調味料による絶妙な味付け、そのすべてが完璧と言えるほどうまかった。
「うまいな、これ!!お前、こんな料理うまかったか?」
俺が次の一口を口に運ぶ。うまいうまいと馬鹿みたいに同じ言葉を連呼していた。そんな俺を唖然と見つめて、俺のその豪快な食べっぷりににこやかに微笑んだ。
「先生のところで料理を教わったんだ。それでも即席で作れるようなものばかりなんだけどさ。うん、おいしいって言ってくれるなら頑張って覚えた甲斐があるってもんだよ。」
そう言ってナッツも口に運んでいく。
「お前、やっぱ天才だよ!!ホント何でも出来るよなあ。うらやましいぜ。」
思い切りほめたつもりだったが、その言葉を言った瞬間、ナッツの顔が曇ったような気がした。また、か?
「そんなことないよー。オイラだって出来ないことたっくさんあるんだからさ。オイラにとっちゃ兄貴たちだって何でも出来るからうらやましい存在だったんだよ?」
「ははは、そうか?」
違う、俺には何にも出来やしない。そんな感情が俺の中に渦巻いた。俺が心の奥底で暗いものを感じていると、そう言えばとナッツが俺に何かを尋ねようとしていた。口に含んだものを飲み込んでから話そうとしているようだ。しかし何故か分かる。ナッツが聞こうとしていることは・・・・
「そう言えば、兄貴・・・」
やめてくれ、出来れば聞かないでくれ。俺は胸に手を当ててぎゅっと力強く手を握った。
「他の仲間たちはどうしたの?」
「―――っ!!」
やはり聞かれてしまった。昔は五人で旅をしていたのだから当然のことだ。でも俺は言いたくなかった。隠していたかった。それを口に出せば、俺の無力さが、助けられなかったという俺の罪悪感が露見してしまう。自分の奥底の暗闇を見せたくないのはナッツにしても例外ではない。俺は出来るだけ平静を装って、微笑んだ。
無理矢理に作った、そう・・作り物の笑いで。
「あいつらもお前と一緒だよ。それぞれ他の街で雇われたり、途中で別れたりしてな。みんな今は散々で生活してるよ。」
そうなんだー、と疑う様子も無くナッツはまた料理を口に運んでいる。俺はちゃんと笑えていただろうか・・・。また胸がずきりと痛む。
そして俺たちは他愛もない話で盛り上がった。
ナッツは俺たちと別れた後は、必死にキーリア先生の元で修行していたそうだ。毎日専門書とにらみ合いをして、先生の助手をして、毎日走り回るような生活をしていたらしい。
そして半年前にその努力が実って、医者として認められるようにもなったらしい。
すべての苦労話を聞いた後、俺は何の悪意もなくナッツの頭を撫でた。今度はナッツは怒らず、ただそれに気持ちよさそうに目を細めていた。
そして夜はやってきた。昼に比べるとまるであの暑さが嘘だったかのような涼しさが訪れる。むしろ少し寒いぐらいだ。ナッツは俺に布団で眠ることを勧めたが、壁にもたれかかるほうが慣れている、と言って断った。俺は掛け布団だけ受け取って壁に寄りかかる。
ナッツは下に引いた布団に潜り込んだ。
今までの疲れだろうか、すぐに睡魔が襲ってきて俺はその眠りに身を任せた。
そのとき何かが動いたなんてまったく知ることもなく。
ねえ、知ってる?
大事なものは意外と近くにあるんだよ
だけどそれがあまりにも近くにあるから気付かないんだよ
でも離れた時にその大切さに気付くんだ
離れないと気付かないなんて
なんだか
寂しいね
だからこそ
願ってしまったんだね
砂漠の見せる蜃気楼のように、この現実がすべて幻だったら
どれだけよかったろうに