<君の記憶の先に>


「く・・クロドっ・・ですかっ!?」

スピーカーが跳ね上がるくらいに驚いた声がその一帯に響いた。目を前に向けると、少し前まで開いた空間だったところに黒い窓が現れた。入れ、ということらしい。


急に懐かしくなった。あの二人(正確には一人と一匹だが。)がうちに来てからだった。ラークってやつが受け取ってきた薬瓶、白黒のもの。

まったく、変わっていなかった。そんな光景を目の当たりにしたからなのかもしれない。何も変わっていないなら、今でも昔の懐かしい光景が見れるかと思ったのだ。
俺を動かしたのはただの好奇心。しかし、家からここへと足を運んでいる最中に違う気持ちが混じってもきた。

それは・・・謝りたい、という気持ち。

本当に昔の話だ。俺は昔、一人でここから何も告げずに抜け出して近くの森に住むことになった。そして約20年以上連絡を入れることもない。ずっとそうして、ご主人様、ダジと離れて暮らしてきた。それが、あの事件をきっかけにもやもやと気になり始めたということだ。


今はどうしてるのか。何も変わっていないのか。俺のことを恨んでいないのか。


黙って出てきたことを、今更ながら謝りたいと思ったのだ。
もうこんなにも経っているから、許してもらえないかもしれない。しかし、このままでいることは俺のプライドにもかかわる。出来るならもやもやはしっかりと取っておきたい。

で、俺は・・まあそんな感じでここにいるわけだが。


入ってみるとやはり中は変わりはなかった。
移動装置に乗って通路を走る。横目にはガラス越しに、あちらからは見えない景色が広がっている。そこはやはり白黒の世界で人が機械的に動いている。それでも中は活気に溢れていて、外の世界と何ら変わりはなかった。色がない、ということを除いては。
しかし、このような異様な世界は他にだってあることを知っている俺は、この世界もまた一つの個性だと考える。まあ・・変わりすぎている、ということもあるのだろうが。


移動装置がその場所にたどり着いて、ドアがゆっくりと左右に開いた。俺は、ごくりと唾を飲み込んで中へと入る。目を瞑り、ゆっくりと開いたところに見えたものは・・

「お待ちしておりましたよ。クロド、さん。」
「!?」

グレーのスーツを身に纏った長身の犬獣人だった。明らかに、ダジ・・ではない。
そして、その犬獣人は俺に何かの先端を向けていた。黒く丸い、そして小さな穴が開いているその先端を見て、彼の握り締めているものを見て、頭の中で一致したのは一つのものだった。
彼の手にすっぽり収まっているもの・・それは、ハンドガンだった。
小さな銃口が俺に向けられていた。

俺は一瞬目を見開いて驚いたが、すぐに平静を取り戻し――たように見せ、内心はドキドキものである――その犬獣人を見据えた。

「客に対して銃での出迎えがお前の礼儀なのか?」

そう冷静に言い放った。俺が精一杯強気に凄んでも、その犬獣人はまったくたじろがない。

「あなたは・・何故こんなところに来たのですか?いまさら、ここに戻ってきて偉そうにしよう、というのですか?」
「俺は・・・そんなんじゃ・・。」

相手を圧倒させるつもりが、あまりにも微動だにしない、それに加えてにこやかな笑いを崩さないため、俺のほうが焦ってしまう。俺の背中にぞくっと冷たい感覚が走る。

「俺は、俺のご主人様・・ダジに会いに来たんだ。どうしてるか・・と思ってな。」

俺が曖昧にそう言うと、犬獣人は銃口を一旦下に下ろした。

「私は、あの方の付き人として何年も過ごしてきた・・・カルウと申します。」

先ほどの雰囲気を崩さない緊張した空気の中、その犬獣人、カルウは深々と礼をした。そして、俺はその言葉の中の違和感を感じ取った。

「過ごして・・・きた?」

何故過去形なのか。そこが異様に気になった。周りを見回せば、やはりダジの姿はそこにはない。

「彼は・・。」
目を伏せて、彼は何かを思う。


「彼は・・昨日・・亡くなりました。」

「!?」

「し・・死んだ?」

カルウはコクリと頷いた。確かにダジはもうすでに70という歳だ。いつ死んでもおかしくない歳だったはずだ。それでも俺の心には後悔の念が残った。ここまで来たのに謝れなかった。結局子供の頃からずっと、会うこともせずにそのままだ。

「泣いたり・・・叫んだり・・しないのですね。」

俺が目を伏せて考え込んでいると、静かな声がその部屋に響いた。少し気迫のこもったその声に、俺は瞬時に目をカルウのほうへと向けていた。

「あ・・・あぁ、まぁな。最後に見たのが20年以上も前の話だ。それに、もうこんな歳になるとな。感情も乏しくなるっての。柄じゃないしな。」

俺はあっさりと答えて見せた。もう顔すらも曖昧になってきているのだ。どうして泣いたり出来るだろう。確かに、後悔はあるが・・これも泣く要素にはなりえない。

「彼は・・」
「?」
「彼は・・本当にいい人でした。周りの人を気遣い、私を気遣ってくれました。私もずっとお慕いしていました。そして、彼は死ぬ前にずっと私ではなく、あなたの名前を呼んでいたのです。」

顔を伏せ、手がわなわなと震えている。俺は訳も分からずただ、それを見つめる。

「何で・・・何であんたなんだ!!何故、何年も付き添っていた私でないのだ!!私は、それが憎らしい。それは、もう・・・殺してやりたいほどだ!!」

そう言って、再び俺に銃口を向ける。その握り締めたハンドガンには指がかけられている。

「あの人はずっと、あなたの話をしていたよ。それはもう楽しそうに。あのときはこうだった。あいつはあぁだった。私はそれをずっと聞いていた。ずっと相打ちをしながら聞いていたさ。しかし・・・その話をしている最中、ずっと私は取り残されていたよ。この空間のように白い世界の中で一人で、な。それが・・・嫌だった。だから、お前が・・あれだけ信頼されているお前が、憎いっ!!」

俺は、怒りで一杯のカルウの顔を静かに見つめていた。

俺のことを恨みもせずにいてくれたことに安心感をおぼえた。そして、それと同時に寂しさも。今にも火を放ちそうなハンドガンを、俺は真っ直ぐに見ながら歩み寄った。

「俺は・・最近まで忘れていた。あの人のことを。確かに忘れていた。それから・・ずっと謝りたいと思っていた。何年も忘れていたことへの謝罪、あのとき、この街を捨てて出て行ってしまったことへの謝罪、そして、つい最近の事件の時・・・協力してくれたことへの感謝・・。言いたいことは一杯あったんだ。それを伝えられないのがとても辛い。ずっと・・心の底では伝えたいと思っていたのかもしれない。この辛さ。本当に胸が痛い。泣きたいほど痛いさ。だけど、不思議なもんなんだ・・。
泣けない。出てくるのは後悔だけだ。
お前のあの人を思う気持ち、分かるような気がする。俺も小さい頃、同じように感じていたから。あの人をずっと慕っていたから。あの時は・・幼かったから、好奇心のほうが勝ってしまったけどな・・。」
「・・・・。」
俺はすべてを吐き捨てて空を仰ぐ、すべて・・真っ白だった。
「・・・会いたかった・・・な。」
俺の頭に浮かぶのは曖昧な顔。毛がグレーだったのは覚えている。耳が垂れていたのも覚えている。・・あぁ、今考えれば、顔はほとんど毛で隠れていたっけ。
それらすべて・・・過去の存在。
・・もう少し早かったらな。昨日なら・・もう一日早かったら良かったものの。

「ふぅ・・じゃ、会ってくださいよ。」
「?」

驚きに目を見開いてカルウのほうを向くと、彼はにっこりと笑っていた。先ほどまでの形相が嘘のようだ。実際に・・嘘、なのか?

「あなたを試させてもらいました。」
「あ?」

俺は訝しげに訊ねた。するとカルウは上に銃口を向け、一発、撃った。
ぽん、という音と共に出たのは、小さな白の花。

「ああ?」

俺はさらに訳が分からなくなった。すべて・・・嘘?

「あなたがあの方の信頼する人であるかどうか、そして、あの人の言っていたとおりの優しい方なのか・・・試させてもらいました。」
「な・・すべて嘘、なのか?それじゃ、憎んでいる云々も?あの形相も?」
「はい。見事な演技だったでしょう?」
「な・・嫌な奴・・。」

騙された・・。
完璧だったよ。少し怖かったっての。内心ヒヤヒヤだったっての。

「だけど、少し羨ましいって思ってはいました。何故、何年も前の人をそこまで信頼できるのか。私にはよく分かりませんが・・。やはり、最初に作った一人だから・・という単純な理由ですよね、きっと。そうでしょうね。」

「あぁ、もう辞めてくれよ・・こんな冗談は・・。」

ふふふ、とカルウは意地悪に笑った。

「それじゃ、あの人が死んだってのも?・・・あれは、違うのか・・?」

途中まで言って、自信がなくなっていく。実際にこの部屋にいないのだ。となると、あの人は・・。

「あぁ、あの方ならあなたの所に行くって、先ほど出かけられました。すれ違い、ですね。」

顎に手を当てて、考え込むような仕草をする。先ほどのような緊張した空気はまったくなかった。

「え、あの人がうちに向って?ちょっと待てよ?一人で行ったのか?」

俺は訊ねた。嫌な予感が俺の中に出始めた。それは、とっても先行き不安になるような。すぐにでも答えが欲しいような。生きていたことが嬉しい、それの前に出てきたのがその悪寒だ。

「えぇ、一人で行きたい、というのでお望みどおりに。私にこの街の権利を任せて先ほど。」

淡々と答えているカルウ。

「先ほどっていつ!?」
「ふへっ!?えっと・・あなたが来る・・2、30分前ですね。それが・・・」

それがどうした?というつもりだったのだろうが、俺はそれを遮り中央の机に走り寄った。

「お前、ここのメインプログラムを動かせるか!?で、それで検索してほしいことがある!!」

その慌て振りに、物怖じもしなかったカルウがうろたえた。

「え・・え??何ですか!?確かに動かせますけど・・何を・・。」
「あいつの街を出た時の外の映像だ!!どっちに行ったかを過去のログから取り出せ!!」
「ちょ・・話が読めないんですが・・・あの人はあなたの住んでいる森に向かって一直線に行くって言ってましたよ?」

あぁ、もうじれったい!!と俺は叫んで、適当に、そして乱暴に机のボタンを押した。その中の一つを押すと、机の上にディスプレイが現れた。起動を確認して、ディスプレイの字をさらっと読み取る、同じように出てきた光のキーボードをかたかたと押す。

「あいつが何故、移動式の装置を開発したか、分かるか?それも場所指定方式の!!」
「え・・何故って・・便利だから・・じゃないのですか?」

「違う!!あいつが・・」
「?」



「極度の方向音痴だからだ!!」



「え・・・・でも、あの方はそんなことは一言も・・。」
「あいつ自身がそれを認めていないんだ!!そーいうとこ、馬鹿だから!!」
「はは・・」

小さい頃の経験だ。あの人は、街の中でも迷った。建設途中の家の中でも迷っていた。だからこそ移動式の装置を開発した。場所を指定すればお望みの場所へいける。そうすれば迷うことは決してない。それにしても、こういうときに馬鹿と思い切り言えるのは、第一子の権限だろうか。

・・・くだらない。


どうやら、やはりあの人は俺の家とはまったく反対方向に進んで行ったらしい。そして今も直進を続けていることだろう。

「はやく行ってください!!」
「ああ!!」

再び扉の前へ行く。ゆっくりと扉が左右に開いた。そこで、俺は立ち止まる。

「なぁ、お前は・・一緒に行かなくていいのか?」

静かに、言った。残されてカルウは一人になるだろう。これから何年も。それが、不憫でならない。それなら一緒に・・。
俺の意図を感じ取りはしたらしい。しかし、カルウは首を横に振った。

「いえ、私はあの方と約束しました。ここを守っていく、と。確かに外の世界は気になります。しかし、それ以上にあの方の為になることをしていたいのです。それに、いつかこの街で、この空間に違和感を覚える人が出てくるはずです。そういった人たちに、道を示す役割を、私は担っていかなければなりません。私は、ここを頼まれました。離れることは出来ません。」

にこりと笑って、深く礼をした。

「そ・・そうか。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です・・・。ただ、たまには・・いえ・・ワガママを言いますが・・ちょくちょく遊びに来てください。あなたの話も聞きたいです。外の話、あの方の話。出来れば・・あの方も一緒に・・が、いいですね。もちろん、あなた一人でも。」

そう言って、またにこりと笑った。手を、小さく振っていた。

「ああ、俺もお前に約束だ。きっと近いうちにまた来る。あいつも連れて、だ。それじゃ、俺は行くな。これ以上、長く居座るとどこに行くか分からんからな。また、後日。」

敬礼のように頭に手をかざして、俺は走り出した。移動装置も無視して、ただひたすら通路が横に流れていく。白黒の街を通り過ぎ、俺は出口を目指す。


「いってらっしゃいませ。」
そこには、一人の青年がいた。そして・・
「やっぱり、あの方の言っていた通りだ。・・・かないませんねぇ。」
一人ごちた。



「さて、こっちだな。」

俺の家とは反対方向、結局は往復で戻ってこなければいけない方向を俺は見つめた。周りはすべて森。何年ぶりにか出るやつが、このへんの地形を理解しているはずがねぇだろうが。それに、地形以前の問題でも・・あるし。コンパス持っていても迷うようなやつだぞ、あいつは!!

「あぁ・・あのクソ・・・」
クソ・・と途中まで言って、気付いた。
あいつに会ったら何て言おう。まずは何て言葉で呼ぼう。
行動としては、まずゲンコツってのは決まっているのだが・・。

ご主人様?・・・今更か?
ダジ?・・・・目上の人に呼び捨ては失礼だ。
お父さん?・・・柄じゃねぇな。

「ん〜・・。」

俺は走り出しながら考えた。森の草を掻き分けて先へと進む。そして、思いついた。

そうだ、一番楽な呼び方があるじゃないか。

そう思いついて、俺はさらに足を速める。先は木々だらけだが、俺にはどっちの方向に進んでいるかはよく分かる。なんたって、何年も森で生活していたからな。

「くそっ。」
悪態をついて、俺は先を目指す。きっと、その先には懐かしい顔がある。それを信じて。

「一発殴らせろ〜!!そして謝らせろっ!!」
走って、走って、走って・・・。

そして見えた影。少し背筋の曲がったその・・影に。
俺は怒鳴った。

「こんの・・くそ親父〜!!」

20年以上の間が・・今、近付く。